処分用感想文
個人的な読書感想文
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伊藤勝彦・著「デカルト」
デカルト (センチュリーブックス 人と思想 11)デカルト (センチュリーブックス 人と思想 11)
(2000)
伊藤 勝彦

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宇宙論・方法序説・省察・情念論など
昭和4年生まれ、若い頃を戦争の混乱に生きた作者が、17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルトの人生を追いながら、その哲学とそれを生み出した背景について解説した本。
方法序説について一冊くどくど解説した本ではない。


デカルトは1596年3月31日、フランスのラ・エーで生まれ、54歳で生涯を終える。
20歳の時に学問の限界を感じて、「世間という大きな書物を求め」軍隊に入隊する。
(自分探しか?)

その後、1618年にドイツで30年戦争が起きると、オランダから戻って参戦。
その時、ドナウ河のほとりウルムの近郊の村での、炉部屋における思索から自然科学者から哲学者へとシフトがあったという。

1625年にイタリア旅行から戻ってパリに住み、バルザック、シロン(文学者)ミドルジュ(数学者)、そして学僧メルセンヌなどと交流をもった。
数学をベースにした学問の統合ってこのへんからかな。
数学のXY座標の平面を考案したのはデカルトだそうだ。
中ザワヒデキの「方法」ってこれが元ネタだったのか。

スウェーデンのクリスティーナ女王に招かれるが、肺炎で死去してしまう。
クリスティーナ女王は「愛についての書簡」(恥ずかしいネーミングだな)で感銘を受けたのが、招聘するきっかけだっという。
というのが大まかなデカルトの人生。


レンブラントの絵画(「開いた本の前の哲学者」)などを引用しながら説明しているあたりは、エロゲーを引用しながら社会学を語る東浩紀のようだ。

デカルトは自由を求めてオランダを放浪したそうだ。
そういえば、アムステルダムにはドラッグから売春まで、堕落した娯楽の全てがある、と高部正樹と言っていたな。

「幻影の自我」「哲学者であることの矛盾」(P96)
は、宇宙が非中心的であることを説明しようとすると、「その考えに囚われている自分」が矛盾してしまうという話。
ひとつの考えに囚われることは、思いこみであり、思いこみは宇宙(世界)の中心に自我をおくことに他ならないからだ。
これは現在の、メディアの偏向性や「伝えること・見ることがすぐ荷担することになる犯罪」に通じていて面白い。


興味ない人にとっては難解だが、たぶん専門的に勉強している人にとっては何をいまさらといった感じだろう。
しかし、私にはこれくらいで丁度よかった。
イスラームの世界観 移動文化を考える
イスラームの世界観―「移動文化」を考える (岩波現代文庫 社会 161)イスラームの世界観―「移動文化」を考える (岩波現代文庫 社会 161)
(2008/02/15)
片倉 もとこ

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移動するムスリムと定住する日本人、その先にあるグローバルなモバイル化。

イスラム文化を「移動の文化」と位置づけ、その特徴を探った本。
単にイスラム文化の紹介に終わるのではなく、日本文化との比較、人生観の再定義、グローバル化した社会を示唆したものなど、読み取れることは非常に多い。

<移動の文化>
この本を読んで思ったのだが、日本が定住文化、イスラムが移動文化の原因は水が豊富か否かによるものだろう。

ベドウィンのような遊牧民にとっては、一箇所に留まることは澱んでいくことであるという。
「その時の状況次第」(ハサブ・ル・ズリーフ)で動いて行き詰った時は、「神のご意思あらば」(インシャーアッラー)という訳だ。
こういう感覚は、日本人からみると行き当たりばったりだが、当のムスリムからすれば状況に応じてフレキシブルに生きるのが美徳となっているらしい。
そういえば「傭兵の生活」にも、ムスリムは普段は威勢がいいが、ピンチになると泣き喚いて使えないので信用できない、とか書いてあったな。

それに対し、日本は“動かないこと”が美徳とされる世界だ。
「落ち着く」「終身雇用」「不動の信念」というようにひとつの場所に“一所懸命”に留まることに美学が持たれている。

こういった違いがなぜあるのかというと、おそらく“水”の違いからだ。


中東のほとんどの地域は、ひとところに定着して生活していくには、あまりにも資源がめぐまれなかった。石油よりもなによりも、人間が生活していくのに、まず必要な水が決定的に不足していた。「水にながそう」という表現があるほど、水にめぐまれ、したがってひとつのところに定着して生きていけた日本人とは事情がまったくちがう。(P102)




中東では一日の寒暖差が激しかったり乾季と雨季があったりして水の確保が難しい。
日本では水は村のコモンズ(共有財産)として扱われ、それを保持する(動かさない)ことが最大のルールとされていた世界だ。

日本人は動かない水田を共有してムラを堅持し続けた。
そこで生まれたヒエラルキーを堅持する美徳が、今の官僚支配にまでつながっているのではないだろうか?
また、動かないもの“不動産”に無限の価値があると信じてバブルを起こしたのも偶然ではないような気がする。

日本のゼネコンは、元をただせば、日本の都市の治水管理から始まっているはずだ。
イランやサウジアラビアの日本製のプラントは、日本の動かない文化がアラブの動く文化を補完したものといえるのではないだろうか。


<国民国家の検証>

またその一方で、人々の代表は「国民国家」の名のものに、、ひとつの言語、ひとつの民族で統一しようとする政府を誕生させた。「自由、平等、博愛」をうたいながら、国内ではバスク人など少数民族にフランス語による教育を強制し、他国を侵略したナポレオンの例をひくまでもなく、排他的な愛国主義が近代の西欧世界で吹き荒れたことは、歴史が語るところである。
つまり、一民族一国家ははじめから神話であった。
(「イスラームの世界観」P147)


ナチスほど極端ではないにしろ、フランスも似たようなことやっていたのだ。
それに比べたら大日本帝国の皇民化政策なんてマシなほうじゃないかなあ・・・とはいえないのが敗戦国の悲しいところだ。
イスラムの歴史を遡っていくと、西欧諸国のエゴや矛盾が見えてきて興味深い。

<日本文化とイスラム文化の比較>
またこの本の冒頭部分を読んでいて思ったのだが、日本の世間体とは、ムスリムにとってのイスラム教のようなものではないだろうか?
日本では、宗教が日常生活の中に出てきて、人々の行動に影響を与えることは非常に稀である。
そういう風に長いこと信じ込んでいたが、日本人にも生活の中で行動を制限する規律は存在する。
世間体だ。

それはたまたま、固有の神の名前や物語化された神話を持たないだけで、社会的な機能としては宗教と変わりないような気がする。
山本七平が唱えていた「日本教」がどんなものかは本を読んでいないので知らないが、このことだったのだろうか?

第六話「日本にもある『動の思想』」では、伊勢神宮の遷宮のための「お木曳き」や松尾芭蕉の「奥の細道」を挙げながら、日本にも移動の文化があるとしている。
ここでは、「移動」を流浪というよりは「物理的な更新」、あるいは「情報の採集(フィールドワーク、経験の蓄積)」と捉えられている。

よく動いてきた人は、よく見てきた人である。
よく見てきた人は、よく知っている人である。
賢者とは、経験者であり、経験は移動によって培われるということか。


<インターネットの未来とイスラム文化>
本書は別にインターネットを絶賛する本ではないのだが、インターネット的な価値観に非常に肯定的な印象を受けた。

第七話「ホモ・モビリタス」では、グローバル化とモバイル環境が人をホモ・モビリタス(動くものとしての人間)として捉えられるとしている。

松井孝典のいうように「世界は進化ではなく分化していく」(P210)のだという。
そして、それは領土という概念に執着した国民国家という枠組み(17世紀のフランスからはじまったイデオロギー)を超えていくのではないかと言っている。
まるでアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『マルチチュード』のようだ。
(そういえば、2ちゃんねるの板も「行ったことがある」とか「住民」とか地理的なアイロニーで語られることが多いな。siteも場所って意味だ)

イスラムに限らず、人生を旅に例えるのは、人の軌跡を時間的な移動から、物理的な移動へと移してみることだ。
終着点は決まっている。死だ。
結論が決まっているなら、過程を楽しむしか選択肢はない。
イスラムは道中(過程)を大切にする思想である。
イスラムを意味するシャリーアは“水場へいたる道”のことであり、教団を意味するタリーカも“道”を意味しているそうだ。
本書の「目的志向からの脱却」(P222)という発想は、“それが僕には楽しかったから”という多分にオープンソース的な発想であり、直接的な生産性を求めないひろゆきの人生観に近いように感じる。
ひろゆきが2ちゃんねるを始めたのは「暇だったから」なのだ。

こう考えていくと、将来、ネグリ・ハートのいうような国家を超えた権力や連帯が生まれたとき、そのスタイルや思考パターンはある意味ムスリムに近くなっていくのではないだろうか・・・というのは強引すぎる話だろうか。


山本七平のような文化比較論に興味のある人には特にお薦めだが、エネルギーを依存している割にイスラムについて我々は無知過ぎると思うので、それ以外の人にもお薦め。

テーマ:**おすすめbook!!** - ジャンル:本・雑誌

ラジオの戦争責任
ラジオの戦争責任 (PHP新書 508)ラジオの戦争責任 (PHP新書 508)
(2008/02)
坂本 慎一

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アノニマスな社会に浸透するメディアの功罪について。
高嶋米峰、友松圓諦、松下幸之助、松岡洋右、下村宏という5人のキーパーソンから戦前戦中のラジオの社会的機能とその功罪について語った本。

この本も例によって、最初の高嶋米峰、友松圓諦の二人の解説は特に必要ない、というか冗漫に感じた。
二人とも名演説家で、今で言うところの人気パーソナリティーとか人気アナウンサーとかそういう立場の人である。

興味深いのは松岡洋右への記述だ。
太平洋戦争の骨格を作ったのは松岡で、その中でマスコミと国民が煽り合って戦争に突入したとの分析がなされている。
東条英機などは、むしろアメリカとの戦争回避を講じたところ“弱虫東条”とメディアに攻撃された被害者とされている。
(「アタシ、アベしちゃおうかな〜」と同じだな)

「大東亜共栄圏」「五族共和」「満蒙は日本の生命線」などは全て松岡の広めた言葉だそうだ。
また「皇国」を公式文書や談話に使ったり、「生命線」という手相占いの言葉をdeadlineの意味で使い始めたのも松岡だという。
三国同盟とソ連中立条約を単独で成立させ、国際連盟を脱退させたのも松岡だ。
近衛文麿はアメリカに対する態度が余りにも挑発的過ぎるため、外務大臣である松岡に不信感を持っていたという。
当時の「米英撃つべし」というアメリカへの憎悪は、元を正せば松岡洋右とのことだ。

松岡は頻繁にラジオに出演し、大衆を煽りまくった。
国際連盟の場での「十字架上の日本」やスターリンに語った「道義的共産主義」など周囲を驚かすようなフレーズを多用したという。

新しいメディアの登場とともに、斬新なフレーズをトバして、人々を煽りまくるヤツには気をつけたほうがいいということだろう。
ハイテク詐欺師には警戒したい。

日本人は英語ができないから喧嘩が下手だ、といっていわれるが、松岡の場合は英語が出来るがために勝てもしない喧嘩を始めてしまったということらしい。

第五章では、玉音放送の根回しをした下村宏という人について解説している。
下村は最初、戦争肯定のラジオ演説を行っていたが、これは本心ではなかったという。

「世論は正しいという。しかしこれは大体において正しいというまでである」
(P211)



という発言は、「集合知は同時に集合愚である」というひろゆきの話と合致していて興味深い。
「みんなの意見は案外正しい」というのは嘘である。

下村が昭和天皇に御聖断を促すくだりも実にスリリングだ。
映画「太陽」を思い出してきた。
その結末として、8月15日正午、37分半の日本史上最も衝撃的なラジオ放送がなされるわけである。
下村は、太平洋戦争とは、アメリカと日本の戦いではなく、戦争をしたい者と平和を望む者の戦いであったと述べている。
ベトナム戦争と変わらないのか。
鈴木貫太郎内閣が恐れたのは、アメリカ軍よりも「一億玉砕」を叫び続ける国民だったという。

本書によると、戦時中特高に拷問されながら戦争反対を訴えた人よりも、軍部に妥協しながら終戦を成功させた人のほうが功績が大きいそうだ。
まあ、その通りだ。
世の中で一番重要なのはレトリックとタイミングなのだ。
悲しいが、これは本当の話だ。

最終章の考察も興味深い。
当時の日本は家屋が密集しており、プライバシーの概念が低かった。
日本人はデフォルトで匿名だったのだ。
「プライバシー」にあたる日本語は存在しない。
そんな日本の都市にラジオという強力なメディアが大音量で洗脳まがいの放送をはじめたのだからたまらない。

また、「ウェブ炎上」で荻上チキがエコーチェンバーと呼んでいたものが、本書では「集団的誘導作用」として紹介されている。
ラジオには通常この「集団的誘導作用」がないが、当時の密集した日本の家屋では、十分これが起きていたという。

これは今のネット環境と比べても同じことが言える。
ブログは個人のメディアで他人に影響されることは少ないが、2ちゃんねるではスレの空気に流されて考えが変わったりすることが結構あるのである。
恐らく、当時の日本人がラジオに感化されていった過程は、ちょっと前に「2ちゃんねるで真実を知った」とかいうバカが大量発生したのと同じではないだろうか?

前半部分はやや冗漫だが、資料の積み重ねを元に手堅くまとまっている。
話の内容が内容なので、語り口もカタいが、分析は明晰だ。
マスコミはもちろん、ネットも信用できないと思っている人にはお薦め。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

グロテスク・下巻
グロテスク〈下〉 (文春文庫)グロテスク〈下〉 (文春文庫)
(2006/09)
桐野 夏生

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東電OL事件をモチーフにした女の業小説

東電OL事件の状況検証から話を進む。

中国の田舎から出てきた貧しい男が、共産党幹部の男妾を経て、日本で殺人をするまでの軌跡を語る。
貧困と欲望に翻弄された人の人生が、水道管に結露した水滴が床にしたたるような無情なトーンで描写される。

後半でOLが自分を売る価値について悩むところは、共感できた。
これは別に売春婦だけの話ではない。社畜も同じだ。
エンジェルバンクでも売春婦を紹介する話があったら面白いのに、と思う。
しかし考えれば考えるほど、売春婦がそんなにグレードの低い商売という気はしない。
単なる接客サービス業だ。

僕も過労で脱水症状になり入院したことが何回かある。
あらゆる人から真面目だ真面目だといわれていたが、まさか体壊すまで働くタイプではないと思っていたのでこれにはビックリした。
労働とは体を売ることなんだとその時初めて実感した。

この小説では2千円で春を売る女が出てくる。
安すぎると思うだろう。
しかし、マクドナルドではスマイルが0円で売られているのだ。
笑顔という欺瞞を売りさばくなんて、因果な商売だと思わないか?
職業には貴賎はないのだ。効率の違いがあるだけである。

単なる職業にアイデンティティを絡めてくるから話がおかしくなってくるのだ。
もっとも、この本のテーマは職業じゃなくてアイデンティティだが。


この本に登場する人は価値観が閉塞しすぎているのではないだろうか?
どうしても自分にこだわり過ぎているように見える。
それが業ってものでしょ、といわれると、そうなんですかとしか言いようがないが。

自分の内面を鍛えようとしないで、他人の外面ばかりみて、ないものねだりをしてるような人しか出てこない。

他人の芝は青く見える。
それは、自分の庭の管理が出来ていないからだ。
制度や既得権にすがって、威張ったり見下したりする。
それは、自分に何が必要で何が不要かを考えない、考えることすら出来ないガキの示威行為だ。

解説には、「読後には爽快感が・・・」とか書いてあったが、どうやったらこの話で爽快になれるのだろうか。
僕にはさっぱりわからない。
女性ではないが、僕が大学生の時にみていたどうしようもない人のことを思い出して気分が悪くなリ続けていた。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

グロテスク・上巻
グロテスク〈上〉 (文春文庫)グロテスク〈上〉 (文春文庫)
(2006/09)
桐野 夏生

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東電OL事件をモチーフにした女の業小説。

東電OL事件をモチーフに、女の業を描いた小説。
付属女子高とその家庭状況を舞台に、ですます調でコンプレックスとも強迫観念ともいえる情念で一冊まるまる埋め尽くされている。

生まれついての娼婦・ユリコというのが出てくる。
このユリコというのは、ハーフの美貌で、とにかく男と交わりたくてしょうがないという女子高生だ。
それに木島という男が、他の客をとってくる営業をはじめ、学内売春婦になったという展開だ。

都合のいい課金システムを得て、天職になったという、梅田望夫の『好きを貫け。それを仕事にしろ』を具現化したような人だ。
アイデンティティがそのまま職業になった人は幸せである。
モチベーションがいつのまにかインセンティブになっていた人は幸せ者である。
こう考えると、売春の何が悪いんだかよくわからない。
宮台真司の言うとおりだ。
売春と無関係なとこでも風紀の乱れてる人も多いし。

今まで売春が悪かったのは、むしろ性以外に売るものがなかった経済状況が悪いのではないか?
望んでいない職業について苦しみ続ける人達はいつの時代にも、どこにでも多数いるものだ。

読んでいて思い出したのは、土田世紀の「編集王」に登場する明治一郎という編集者の話だ。
明治は、雑誌の中でエロ漫画を企画し、徹底して性の商品化を進めていく。
それは大成功を収めるが、ある時、行き過ぎた表現に圧力がかかり撤退を余儀なくされる。
彼の過去には学生時代にいじめを受けたところから、学内の売春組織に巻き込まれ、性とは最も商品価値があるものだということが全ての行動の原点になっている。
そんな男のエピソードがあったのだ。

これは男視点の話だが、「グロテスク」のほうはこれを女視点で描き直しているような印象だ。
性が存在意義の全てだというメッセージがねばりつくような情念を帯びて主張される。

第四章「愛なき世界」を語る“わたし”の性格の悪さに呆れた。
本当にネチネチしていて、根性がいやらしい。
他人の手紙を読んだ上で、人間関係が悪くなるようにアドバイスしたりするのだ。
吉田戦車の「甘えんじゃねぇよ」のみっちゃんのママみたいな人である。
多少環境に不幸があったからといって、ここまで性格が歪むのはどうかと思う。

田中良紹さんによると、政治は女を口説くのに似ているという。
政策を実現させるプロセスは、事前に地道な地ならしをし、支持が高まったタイミングを見計らって実行する。
これは、さりげなくムードを盛り上げ、相手の感情が高まったタイミングを見計らってことを遂げる口説きのテクニックと同じだというわけだ。

「グロテスク」を読む限りでは、逆に女の生き方は常に政治的であるかのようだ。
他の女より上か下か、選ぶか選ばれるか、買うか買われるか。
その力学の追究に全てがかかっているかのようだ。
カオスフレームである。

読んでいてつまらないとか読みづらいということはない。
完成度は高いだろう。
業の深いところに触れられるのは勉強になる。

個人的な記憶として、付属高校は閉じた世界で競争がなくなり、堕落して思考力の落ちた人間を作る傾向が強いということを思い出した。

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