![]() | ウェブ社会をどう生きるか 西垣 通 (2007/05) 岩波書店 この商品の詳細を見る |
西垣通さんがウェブ2.0の落とし穴について社会学的に語った本。
どうでもいいことだが、西垣さんが小説を書いていたとは知らなかった。
昔、日経新聞で「最近のオタクをやたら持ち上げる風潮が嫌いだ」というインタビューを読んだときに、妙に納得してしまった記憶がある。
何箇所か、「詳しくは自著○○を参照して下さい」というセールストークが出てくるが、意外に商売熱心な性格なんだろうか?
前半の情報に関する記述は、哲学や社会思想にまで遡っているためやや難解で、とっつきづらいものの後半の話を読み返した後だとわかりやすい。
生命情報/社会情報/機械情報(P23)
「情報とは小包のような実体ではなく、人と人、生物と環境を結ぶ“関係”である」という主張。
つまり、検索エンジンでは言葉の定義はすぐに表示されるが、その言葉が生まれるまでの文脈がわかるわけではない、ということか。
これは、養老孟司の「人は変わる、情報は変わらない」という説と全く逆のスタンスである。
別の言い方をすると
・検索結果をコピペしても教養は見につかない
・思考過程はサンプリングできない
(かつて大島永遠の「女子高生」という漫画にあったように、黒板の板書をノートをとらずにケータイの撮影で済ませても、結局は頭に入らない。)といった話に対する警鐘である。
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」によると、国民国家は「想像の共同体」だが、これを成立させた要因のひとつに「共通言語で書かれた新聞」があったという。(P27)
これはケータイやネットが共通言語を殺し、民主主義を後退させるというサンスティーンの説と裏表で合致していて興味深い。
私には、新聞が衰弱死していく一方で、「共通言語で書かれた掲示板」が村社会を露呈させているように見えるが。
またグーグルをアメリカの一神教の文化として捉えている点も面白い。
これは
「2ちゃんねるには多数の「光臨する神」がいるみたい。いかにも「八百万の神」の国だなあ、と思う。」
という白田秀彰さんの話と裏表で合致していて非常に興味深い。
ネットのアプリケーションに国民性が出てくるというわけである。
そうい考えれば、ヨーロッパでグーグルに対抗して検索エンジンを開発しているのがフランスというのも非常にわかりやすい。
フランス国民のアメリカンカルチャー嫌いは有名だもの。
「むしろ私には現在、ウェブ礼賛論が安易に既存の専門知を排斥し、あらたなウェブ照合知を主張するあまり、急速に知の堕落が生じつつあるのではないか、という懸念があるのです」(P72)
メタルギアソリッド2の雷電がまたここに一人。
ひろゆきのいうように、集合知は同時に集合愚であり、それを活かすも殺すも人次第ということ。
「真のアイデアを練るには情報は少ないほうがいい」(P139)
またもやこの意見が出てきた。
西垣さんは団塊世代、戦後のモノのない時代から、カタログ文化、情報革命を経てきた人がこういう結論にたどり着くのは感慨深いのかも。
「教え込み型」教育と「しみ込み型」教育(P142)
ここでも「身体を使え。身体を持たないものに真の知性はない」という結論がでてる。
テーマが心の問題ということもあり、難解なとこもあるが、P173以降のまとめ(真の情報学的展開へ)がよくまとまっていて親切な本である。
(全部読むのがめんどくさい人はここだけ読むだけでもいいと思う)
「ウェブ進化論」の影響で、ウェブ2.0ウェブ2.0とバカの一つ覚えのように連発してる脳天気な人にお薦め。
![]() | 新聞社―破綻したビジネスモデル 河内 孝 (2007/03) 新潮社 この商品の詳細を見る |
紙芝居屋という職業は何故なくなったのか。
テレビに殺されたからではない。
風鈴屋や金魚屋がなくなったのと同様、採算がとれなくなったからだ。
池袋東口には、未だにポルノ映画館がある。
アダルトビデオが誕生して20年以上経ち、ネットで20回もクリックすれば無修正動画がタダでみれる時代に何故こんなものが存続しているのか。
おそらく、採算がとれているからだろう。
このように、新しいメディアが登場したからといって、ただちに古いメディアが“殺される”ということは余りない。
その多くは、レンタルビデオ(DVD)と映画のように、それぞれの異なった時間や生活様式に合わせて相互補完関係を築いていくものだろう。
では新聞の場合はどうか。
これがもう、瀕死の状態らしい。
この本は、毎日新聞の取締役だった河内孝さんが崩壊寸前の新聞のビジネスモデルについて解説した本。
『あなたたちの真の敵は、テレビでもインターネットでもなく、破綻したビジネスモデルにとりすがる新聞界の守旧派なのですから。』(P8より)
とあるように、あくまでビジネスモデルについて言及した本で、ネットの尻馬に乗ったイージーなマスコミ批判本ではない。
むしろ「新聞がなくなる日」の続編に近い感じである。
・新聞は広告収入で成り立っている。
・戦前同様、国民の知らないところで言論の寡占化が進み、集中排除原則の形骸化。
など(前にも聞いた話だが)ネットの登場によって、マスコミ不信が広まる一方、その古過ぎるビジネスモデルが破綻寸前にあることを、様々なデータを持ちながら解説している。
ちなみに新聞社だけでなく、テレビ局(特に地方民放)も完全に退路がなくなっていることもよくわかる。
田中角栄の亡霊には、みんな悩まされているわけか。
「補助金漬けの販売店管理」(P79)のあたりでは、ケータイの販売店も似たようなものかなーと思った。
恐らく、2年も待たないうちに、ケータイの販売システムを暴露した本が出てくるだろう。
最終章では、IT関係によって新しい道を開くことを検討している。
朝日新聞の電子版がアサヒコムではなく、アサヒコムの紙媒体版が朝日新聞、という時代がくるのだろうか。(いや、もうすこし斜め方向に解体されるかな)
ですます調の柔らかい口調が却ってキモく感じるし、あまりネット関係に詳しいという感じもしないが、マスコミ人特有の高飛車なトンチンカンさもない。
具体的な解決策は浮かんでないが、何とかしてメディアを浄化・再構築したいという誠意は感じる。
それにしても、引用されている本が「メディア裏支配」「電波利権」「ネットは新聞を殺すのか」「新聞がなくなる日」「検証 日本の組織ジャーナリズム」など、私が以前に読んだ事のある本ばっかりで吃驚した。(サンスティーンの話も出てくるぞ)
私もメディア関係の話にはそれなりに詳しくなっていたのだろうか・・・。
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