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ヤクザ・リセッション
ヤクザ・リセッション さらに失われる10年 ヤクザ・リセッション さらに失われる10年
ベンジャミン・フルフォード (2003/10/04)
光文社
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ベンジャミン・フルフォードが日本経済裏側からまわって検証したノンフィクション。
バブル期の山口組と住友銀行稲川会と野村證券といった黒いつながり。
りそな銀行の公的資金注入は、ヤクザがりそなの大口定期預金だったから。
などなど政治・官僚・銀行・ヤクザの怪しい関係を指摘している。

政治家・官僚の自殺は、本当に“自殺”かどうか疑わしいものが多いそうだ。
その話自体は面白いし、ある程度の信憑性とはいえなくても合理性がある。
ただ、検証不可能なので、暗殺・陰謀論を前提に話を進めることはできない。
(シロウトが変に核心つくのもヤバいしな)

「バブル期には、会計士は顧客企業のいいなりで、監査報告書になんの限定意見もつけなかった(経団連・奥田会長)」(P36)
日本ではほとんどの企業が粉飾決算をしていたそうだ。
改めて堀江が国策逮捕されていたことがわかる。

許永中の生い立ちから見えてくること(P80)
在日韓国人とウラ社会、政財界のつながりを解説してある。
この本だけではないが、ベンジャミンの本で吃驚したのが、てっきり一部の差別主義者の妄言かと思っていた差別的な言論が、どうやら本当らしかったということだ。
この本とは無関係なところでの話だが、とてもレイシストとは思えない立派な人が「関西で起きる大型の経済事件にはだいたい在日が絡んでいる」といっていたりしている。
ただ、マイノリティは差別されるので正業につけない、というのが問題の起点ではあるらしい。

イラクに派兵するなら世界の常識に従え(P198)
高部正樹が「こちらの制止を振り切って近づいてくるものは、たとえ女子供でも躊躇せず射殺するべきだ」とテレビで発言したところ、カットされてしまったという話を思い出す。
これは現場での例だが、ベンジャミンは理想主義的に、アメリカとの距離を置くよう繰り返し主張している。

また、経済的にも、国富をアメリカにもっていかれることについて繰り返し警鐘をならしている。
こういった国レベルの話は、個人の金銭感覚を遥かに超えているので、実感を持ちにくく、検証も難しい。
ただ、ベンジャミンの話が正しいかどうかは別にして、非常に憂国的だし愛国心を感じるものだ。

「郵便貯金、簡易保険、年金合わせて約500兆円あるとされているが、これが本当にあるのかは、日本政府の一部の者しか知らない。そこで、一般的に言われているのが、「すでに200兆円は消えてしまっている」というものだ。」(P172)


うーん、この辺はかなり本当っぽい・・・。
「マネーって信用がないと存在しないものなんです」と「経済ってそういうことだったのか会議」に書いてあった。
年金制度が信じられなくなったらどうなるのだろうか?


政治・経済に関する資料が半端ではなく、内容もショッキングで面白い。
ただ、大袈裟な言い回しやバイアスもあるはずなので、その辺は差し引いて考える必要がある。
私が日本の政治・経済について興味と知識を持ったのはベンジャミン・フルフォードのおかげなので、それについては非常に感謝している。
でも宇宙人や陰謀論にはつきあってらんないけど。

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テーマ:**おすすめbook!!** - ジャンル:本・雑誌

ネットワーク社会の神話と現実
ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている ネットワーク社会の神話と現実―情報は自由を求めている
池田 信夫 (2003/05)
東洋経済新報社
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ネット界の男一匹ガキ大将”池田信夫の2003年までの論文やコラムをまとめたもの。
論敵を自分の専門分野に追い込んでサンドバッグ状態にする戦法は、金竜飛の蝶々<チョムチョム>に似ていると思う。
ネットイナゴから海外一流メディアまで戦歴は多彩だが、一番の難敵は「池田先生の素晴しい意見には万々歳でございます」 みたいなコメント書き込んでる人だと思うよ。

この本の内容は、技術がここまで進んじゃったら、合法非合法どころか法概念や価値観までを替えていかないとダメなのかな…という点についてズバッと切り込んだもの。
別の言い方をするなら、マスコミや著作権管理団体などの信じる既得権益を「神話」として、インターネット「現実」から狙撃した本、ともいえる。

ただ、迷ったり保留したりといったところがないので、もしかしたら急進的過ぎるのか、という感じもする。
学問を追究することのみに主眼が置かれているので、コモンセンスというか世間一般の感覚との“時差”については余り考えていないみたいだ。
この辺はエリートの欠点である。


無線インターネットが主流になるだろう、という話を2003年より前にしていたのは驚いた。
この辺については「電波利権」のほうが詳しい。

「インターネットの自由を徹底的に守る延長上にしか、二十一世紀の社会の展望は見えてこないだろう」(P18)

「それ(匿名性)を使いこなすのは、成熟した大人のモラルしかないのである」(P38)

なぜここまで解っている人が、2ちゃんねる閉鎖論などという極論を打ち出すのかは大いなる謎といえよう。

「金融庁は日本生命が他社を中傷する「風評」を流していたとして業務改善命令を出した」(P35)

ゲートキーパーでお馴染みのソニーも出るとこに出ればお上から叱られるってことか。
前例があってあんなことやってたんだから、フォロー不可能である。

「資本主義の『王殺し』」(P111)
ベンジャミン・フルフォードのゾンビ企業批判、ホリエモンの社会もPCと同じように「OSの再インストール」が必要という話、相原コージの「ムジナ」で言われていたような革命による管理体制の延命と同じ趣旨の話である。

「失業のすすめ」(P134)
池田本人の例を挙げながら、会社に縛られない生き方を促したもの。
確かにいいことを書いているのだが、世の中のほとんど人は池田先生のように頭もよくなければ実力もないのだ。

P178の地上波デジタル化補助金を、民放が森内閣の中川官房長官のテープ流したために怒って削っちゃった自民党郵政族のドンってどうやら野中広務らしい。
内容証明の手紙はここのことを指していたのだろうか?

評論として完成されすぎているが故に、読者の実際の生活に与えるフィードバックは少ないと思うものの、読み物としての完成度は非常に高い。
話の内容もネットワークネタ以外にも、社会思想からエコロジーまで多岐にわたっており刺激的である。

テーマ:**おすすめbook!!** - ジャンル:本・雑誌

リアルタイムズ
リアルタイムズ―光速の失楽園 リアルタイムズ―光速の失楽園
山崎 浩一 (1992/01)
河出書房新社
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山崎浩一が、80年代の後半から90年代前半にかけてのテレビについて論じた本。
昭和崩御、冷戦終結、オウムなど今からみると懐かしい話が多いが、話の切り口は鋭く、今でも応用が効く話が多い。
ただし、全体的なムードは今とはだいぶ違う。

「意識操作としてのUFO番組」(P160)
最近、新聞の世論捜査やブログのやらせ、意識操作を目の当たりにすることが多いが基本的な分析方法はこの時点で確立していた。

「日本対ソ連、黒人対KKK ほとんど闘犬のTV討論」(P170)
これもインターネット的な話である。
ちなみに私は最近ようつべで、韓国の反日厨をたしなめるフランス人をみた。

TentenThePanda | February 03, 2007
Stupid guy...you're as stupid as Japanese who hate Korean...

Don't you understand that if Korean hate Japanese, Japanese will hate Korean?

I know that Japan did a lot of crimes and a lot of rapes but we're now in 2007!

I'm French and Germany invaded France in World War 2, but I don't Hate Germany and German!

By the way, I think that bestkorea123 is a stupid racist too.

話を本に戻す。
この本のキモは以下の部分に集約される

★TVは「見る」ものではなく、「読む」ものである。そしてどのように読むこともできる。
★TVとは、送り手⇒受け手という固定的な役割分担による<一方的メディア>ではなく、両者の共犯関係によって成立する流動的な<媒介作用の力場>の名前である。
★それは、こちらからの「はたらきかけ」次第で即座に変容する、かなり曖昧でいいかげんなものである。(P023)


というのがほぼ総論。
しかし、この話、ネットについても全く当てはまることだね。
「メディアリテラシー」という言葉が使われだす何年も前にこういった意識の高さ“品格”を打ち出していたのは見事としかいいようがない。
山形浩生が山形道場「ネットでは受け手だって変わる。当然変わらなきゃいけない」と述べていたのを10年先駆けていたのだ。

20年近く前にかかれたものなので雰囲気が結構違う。
特に80年代後半に書かれたものは、もの凄い勢いで左旋回しており、今これをネットを上げたらどういう反応がくるのかわからない。
特に「『がんばれ』という声援に隠された無責任」(P58)は、あの薬害エイズ事件の川田龍平も使っていまわしていたレトリックで、小林よしのりが噛み付きまくっていたものだ。(ま、小林はいつでも狂犬病にかかったイヌ状態だが)

入手は困難だが、本としての価値は高い。
ネット環境をテレビ局が個人レベルで運営されるものといいかえればネットに関する評論としての応用も可能だろう。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

情報狂時代
情報狂時代 情報狂時代
山崎 浩一、ひさうち みちお 他 (1994/09)
小学館
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物事を考えるには、その問題がどれくらいの大きさ(重要さ、現実性、時間の逼迫具合など)かを考慮したうえで対処しなければならない。
大局的な事案については理想主義的に大きなスケールで捉えないといけないし、目の前に迫った時間的物理的に余裕のない事案については現実的に小さなスケールで捉えないといけない。

例えば、1000人の村民がいる村の村長が、50人の住人の反対にあう意見があったとしても、その意見は通さなきゃダメだとする。
50人の住人に泣いてもらうのは狭いスケールの現実論で、村全体950人の発展を考えるのが理想論。

その現実論と理想論のバランスを考えないとダメだって話を、吉本隆明と山形浩生がしていた。(言い方はだいぶ違っていたが)

山崎浩一はそれを逆手にとって、話を面白くするには、狭いスケールの話と広いスケールの話を一緒くたにしたほうがよいという話をしていた。
つまり三題噺はそのお題がかけ離れていればいるほど面白くなるということである。

この「情報狂時代」は1990年代前半に週刊ポストで山崎浩一が連載していたコラムをまとめたもので、その“極大スケール三題噺”がいかんなく発揮された本。
宝島のロックネタ、月刊プレイボーイのエロっぽいネタなどに比べると自由度は高かったように見える。
サッカーネタはわけがわからないが・・・。


「民主主義は『ものまね王座決定戦』である」(P26)
フランスのガブリエル・タルドの「社会とは模倣である」を引用しながら、世論や民主主義が非理性的な模倣から生まれるものであることを自覚するよう警鐘を鳴らしている。
これは、2ちゃんねるですら決まった意見以外言いづらく、炎上やブロゴソフィアの評判を恐れ、サイバーカスケードへの対処方法を持たない今も連綿と続いている問題である。

「いよいよ北朝鮮が“ブーム”になってきた」(P114)
最近の話かと思ったら、1993年4月16日号の話である。
北朝鮮の結末に覚悟を促してる文章なのだが、本当に今出ている週刊ポストに載っていてもおかしくはなさそうだ。

留学生射殺事件判決に見るアメリカの“暗黒の中世”(P146)
一橋大学学長・阿部謹也の「アメリカは中世社会である」という話を引用しながら、銃社会について解説している。
ボーリング・フォー・コロンバインやバージニア工科大学のチョ・スンヒのずいぶん前に書かれたものだが、そっちの話をしてるかのようだ。


このように、当時は時事ネタを捉まえて、ホイホイ話してるだけかと思っていたが、教養が半端じゃないので、今読んでも全然古くなっていない。
というかむしろ予言の書のような感じすらする。

ただ、一点だけ違うのはネットネタがないことだけである。
その意味で、山崎が現在週刊アスキーでコラムを書いていることは象徴的であろう。
メディア裏支配
メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史 メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史
田中 良紹 (2005/03)
講談社
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田中良紹による、政治とメディアの関係を70年代から遡って解説した本。
この手のメディア批判本は、

・自分を神様と勘違いしたトンチキ左翼が鼻持ちならない結果論を振りかざす
・既存の左翼マスコミの情報は全て捏造で、ネットの言論が真実なのだと右翼が吼えまくる


の2パターンが多いような気がするが、これは作者が見てきたことを淡々と述べていてどちら側に偏っているということはない。

おもに作者の田中さんがTBS時代に経験した報道・番組制作が語られる。
視聴率という唯一のモノサシで番組の完成度をはかることによる弊害、記者クラブのまるで中世のギルドのような談合体質など。

読んでると、既得権益と癒着ベッタベッタの構造にうんざりしてくる。
郵政族議員の外国行きには必ずNHKとNTTが随行するんだそうだ。
そういった癒着からおこぼれを拾うのが政治部の記者の仕事だという。
まるでゴミ箱をあさっているカラスのようだ。

「日本に議会制民主主義が芽生えた頃、秘密主義の政府に対して取材を要求するため、新聞社が団結して作った記者クラブは、百年余を経て既得権益を守るための組織となり、同時に政府に管理されやすい談合の組織と化しているのである。」
(P122)


「ニュースにする前に情報を提供するのは、ジャーナリズムの立場から言えばやってはならないことである。政治権力との癒着そのものだ。しかしこの国のメディアではそれが当たり前のように行われている。」(P145)


日本マスコミ臆病の構造」でも官房長官会見が教室のように静まっていた様子が伝えられていたが、これはかなり異常な事態らしい。
上からの権力にはべったりと癒着するが、叩きやすい奴は徹底的に叩きまくるということか。

「政治は結果である。結果が歴史の審判に堪えられるかどうか、それだけが問題だ。歴史的な偉業が国民に不評だった例はいくらでもある。逆に国民が熱狂的に支持した政策でその国が滅ぶ例も山ほどある」(P151)


経済学でいうところの合成の誤謬と同じだろうか。

「日本の政治には野党がない。あるのは組合だけだ。社会党は要求するだけで、政権をとるだけの候補者を立てていない。」(P152)


要求するだけどころか、ダダこねてるだけみたいな人達もいるみたいだが。

日本人は政治にしらけており、体質的に民主主義を受け付けていない。
デモクラシーとはいうが、デモへの参加は公に対する「恥」という美徳と衝突する。
選挙による投票より、政治家への陳情のほうが有力であるされている世界である。
これは本当に問題で、エリート層の方々には結果論で分析を終わらせるだけでなく、具体的な対処方法を考えてほしいものだ。

最近はテレビというメディアがネットに溶解し、テレビ局が中抜きされる話が多いが、この本ではテレビというメディアの立ち上げ時の話が述べられている。

P96の『新聞の時代は終わった』っていう話は、東京情報大学の桂敬一先生の「新聞に最初にインパクトをあたえたのは、テレビです」のことだろう。

テレビで証人喚問が中継されると、社会部の新聞記者はやることがなくなる。
広報も「これからはテレビの時代だね」という。
70年代末は『テレビは新聞を殺すのか』だったわけか。
しかし、新聞は結局テレビに殺されなかった。
ネットも新聞を殺すことはないだろう。(衰弱はしていくと思うが)

マスコミに対する批判というよりは、マスコミ人の自叙伝といった趣が強い。
メディア解説というより政治の舞台の解説といえる。
ネットに対する過剰な期待感などもない。

同じように政治とメディアの関係を描いた「電波利権」「野中広務 差別と権力」などと併読すると、同じ事実関係を違った評価がなされていて面白い。

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山形道場
山形道場―社会ケイザイの迷妄に喝! 山形道場―社会ケイザイの迷妄に喝!
山形 浩生 (2001/03)
イーストプレス
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どうでもいいが、「やまがたどうじょう」とキーボードに打ったら、「山形同情」と最初に変換された。
(別にブログ閉じることないと思うのだが・・・)

山形浩生が雑誌ワイアードに連載していたエッセイをまとめたもの。
主な内容は新教養主義宣言同様、ネットワーク、経済、社会など多岐にわたっているが、普通の人の普通の感覚に基づいた話ばかりでわかりやすい。
(ハッカーのあたりはちょっと専門用語が多いかも)
そういえば私の持っていたワイアードは中野のタコシェに売ってしまったのだが、誰か買ってくれたのだろうか。
これがサイゾーで現在も続いている連載とつながっているはずなんだが、何となく別モノのような感じがするのは何故だろう。

「一人称、二人称がない」(P212)は、「日本の書籍には明確な一人称・二人称がない。これが様々な面での議論の停滞や文化の発展を阻害しているのではないか」という趣旨の話。
養老孟司がたびたび言及している、日本人は“世間様”の観点で話をするという話と同じである。
これは今、新聞などのマスコミが自分のことを“透明”な存在として人称単位を消しているという問題と完全に合致している。
さらにいうと、日本ではFPSのゲームが流行らないという話とも合致していて興味深い。

「セキュリティはコスト上げるだけ!」(P193)
また池田信夫とネタがかぶってる。
言い方が違うだけで内容は同じことが多いのだこの二人。
因みに最近疑問に思ってるのだが、国防費の適切な値はどうやって決められているのだろうか?

ネットでは受け手だって変わる。当然変わらなきゃいけない」(P238)
いや全くである。
もはや現代は「2ちゃんねるには中傷誹謗しかないからいかない」(それ自体は間違いでもないのだが)で済まされるような時代ではなくなった。
自分を見失わないような品格をもってノイズ処理しないとダメである。
これは今、ネット社会を生きてる人々全員に与えられた義務であって、不可避なものである。

ダイヤルアップ全盛期に書かれたものだが、全体として古いということはない。
人の価値観が決まるシステムは犬の成長とは違うのである。

この本の内容は全部ウェブで公開されているのだが、ニコラス・ネグロポンテも言っていたように、モニタより紙のほうが頭の中に定着するので、本で読むことを奨励する。
それぐらいの価値のある本。

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新教養主義宣言
新教養主義宣言 新教養主義宣言
山形 浩生 (1999/12)
晶文社
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かつて吉本隆明が蓮實重彦・柄谷行人・浅田彰を「知の三馬鹿トリオ」と評していたが、それならば、自分から喧嘩売りにいってボコボコに論破されてかえってくるというパターンを繰り返している山形浩生は「知の稲川淳二」と呼べるのではないだろうか?

たとえ自分が犠牲になってでも、人々の興味をひいて問題提起が出来ればよいという姿勢は、そのわかりやすい文体とつっこまずにいられない態度もあいまって、破滅ギャグに近い芸風を持っているようにみえるのだ。
「心ときめくミームたちをもとめて」と「情報は自由を求めている」って同義だと思うのだが、そういうと怒りだす人がいそうだな・・・。

この新教養主義宣言という本は、山形浩生が情報・文化・ネットワーク・社会などについて、出来るだけ多くの人に興味をひくよう、面白く掘り下げた啓蒙書。
一部のエリートだけにわかればいい、というものになっていないところが素晴しい。

「平和の危険性と戦争の効用」「選挙権を売ろう!」など、常識を否定しながら、常識を検証している手法が多い。
これは「人は自分の信じたいことだけを信じる」というイデオロギーやバイアスや偏見などによる偏りを避けるために有効なやり方なんだろう。

また「ネットで国家を民営化する試み」(P129)のあたりでは、電子通貨の可能性について、訝しがりながらも将来性を夢想している。
この本は1999年に書かれた本なのだが、今のリンデンドルやモリタポについてはどう思っているんだろう。

「あの聡明な稲葉振一郎」とか「あの聡明な橋本治」とか「官僚いじめもほどほどにね」とかいうような東大でた人のフォローばっかしてるとこみてると、『省益あって国益なし』とか『不遇な部下を庇うことに汲汲して226事件を裁けない軍部』みたいな感じがしてムカつくが(確かに官僚批判は結果論だけで、んじゃアンタならどうやるつうのといいたくなるのが多いが。宮崎学とかな。)、この本では割と社会の本流から外れた、据わりの悪い人達のことも結構描写している。
十三の物語と十三の墓標碑(P257)はウィリアム・ヴォルマンという作家の小説のことを書いたもので、逃げても逃げ切れないような、追いかけても追いつかないような不思議な感覚を描写している。
山形にとっても、とても好きな文だそうだ。
私にとっても、山形のテキストの中で一番好きなものである。

ざっと読み返したが、やはり面白い。
ドッグイヤーの世界では99年の本というと、かなり古いようだが、技術ではなく、人の考え方や文化の在り方に関する話なので、今読んでも古くない。
古くないどころか、新しい発見もある。

面白さの自由度をあげたい人にお薦め。

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唯脳論
唯脳論 唯脳論
養老 孟司 (1989/10)
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「ロボット」というと鉄腕アトムのような人型機械を思い浮かべてしまう人は多いだろう。
これは情報処理システムを持った機械を人間のメタファーで捉えたものである。

逆にメカトロニクスから人体を捉えたらどうなるか。
コンピュータは脳であり、プログラムは教育・知識、ケーブルは神経系である。

さらに、クライアント/サーバといったネットワークから人体を考えてみたらどうなるか。
ローカルコンピュータは末梢神経で、ホストコンピュータは脳である。

こういったマシンとしての人体情報に対する反応としての心といったパラダイムから社会や歴史、言語、哲学などについて言及した本。

位置関係、運動と視覚・聴覚の関係、人間にとって言語がどういう過程で生まれたか、計算機と脳はどう違うのか、などなどのテーマについて言及してある。
「バカの壁」はこれを極限まで薄くして、世間話レベルに喩えた本である。

生物学的な実験だけでなく、ヴェラスケスの絵や芭蕉の俳句など、普通に知られている事柄から、哲学的な意味をひきだしたりするところが見事である。
文章にはゆるやかなリズム感があって、日本語としても非常に美しい。
図版もエグいものが多いが、現代社会で意識的に隠されたものというだけであり、やや難解めな内容に対するアクセントになっている。

恐らく、ゲームのハードウェアの進化とは何か、情報処理における“楽しさ”とは何なのか、などについて考えているゲーム開発者が読むとかなり共感できるのではないだろうか。

ざっと見直してみてが、短くまとめるのはちょっと難しい感じがした。
話の内容は高度だが、これ以上まとまらないというところまで昇華してあるということだろうか。

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日本マスコミ「臆病」の構造
増補・改訂 日本マスコミ『臆病』の構造 増補・改訂 日本マスコミ『臆病』の構造
ベンジャミン フルフォード (2005/05/25)
宝島社
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私がここ4年ぐらいで一番影響を受けた本。
最近帰化して日本人になった、元・カナダ人ジャーナリスト・ベンジャミン・フルフォード日本マスコミと社会について、幅広く、かつ限りなく深く鋭く分析したもの。

イラク人質問題、記者クラブ、皇室、サラ金(消費者金融)、NHK、住専、部落差別など既存のメディアからは取り上げられなかった話題を、なぜタブーになっていったかについて解説してある。
そこから見えるものは、日本人がもっている特性・習性であり、一朝一夕で変えれるようなものではない。
しかし、作者は果敢にもそれらの改善案まで提出してあり(ニュアンスは違うのかもしれないが憂国的ですらある)、結果論で批判して終わっている他の評論家と一線を画している。

2ちゃんねるを見ていて、てっきり差別主義者が中傷しているだけだろうと思っていたことが、どうやら本当らしいということをこの本から教わった。
私の「中傷と告発の違いは誰が決めるの?」という疑問の出発点はこの辺からである。
(未だに結論は出ていないが)
(でも事実や歴史や常識は、政治的に一番強い奴が決めるっては判ってるよ)

最近ブログがはじまっているところをみると、映画版リアルジャパンの企画もコケたのだろうが、目が離せない人である。
ただし、信用できそうな話じゃないと本は買えないが。


マスコミは営利団体として限界があり、ネットは個人として調査取材に限界がある。
そのギャップを埋めるのはベンジャミン・フルフォードのような個人ジャーナリストだろう・・・と思っていたが、どういうわけか陰謀論に走っている。
何故こうなってるんだろう。

最近出ている本はお薦めできないが、これはお薦めできる。

テーマ:紹介したい本 - ジャンル:本・雑誌

お金で苦労する人しない人
お金で苦労する人 しない人―金銭感覚の達人 お金で苦労する人 しない人―金銭感覚の達人
中谷 彰宏 (1998/06)
三笠書房
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中谷彰宏が金銭感覚の在り方について解説したマニュアル本。
お金儲けのやり方について解説した本ではない。
お金持ちより、お金で苦労しない人になろう。」と最後のヒントにあるように、世間と自分の価値観、人間関係のバランスから自分の立ち居地をしっかり把握し、無理をして破綻しないようにしよう、という本。

お金とは、欲望を物質化・数値化したものである。
よって、人前でお金の話をするのは、欲望の話をすることであり、「お金が欲しい」と言うのは、「食べ物が食べたい」「SEXがしたい」「眠いから寝たい」と人前で言ってるような下品さ、はしたなさ、あさはかさを伴う。

しかし、人間を動かしているのは欲望である。
法や理性は、欲望のまま個人が動き出したら社会が成立しなくなるため作り出された方便に過ぎない。
そこで、ある意味タブーに近いものの、一番重要な金銭感覚の意味を考えている。
その内容は非常に具体的かつ実践的である。

「だますのは悪いことではない。だまされるほうがアホなのだ」(p200)
これは真理だろう。
資本主義はつきつめると心理戦に近い鞘当てだそうである。
ただ、そういうえげつなさに疲れた人はどこへ行けばいいのだろう、という気がするが。

「お金をなくしてもいい。友達をなくしてはならない」(P38)
インターネットでは、人を動かしてるのは楽しい・楽しくないといったモチベーションである。
儲かる・儲からないとうインセンティブではない。
利潤を追求したコンテンツは必ずつまらなくなる。
その辺のヒントがここらへんにありそうなんだが。

非常に平易でこれ以上わかりやすく言うのは不可能というぐらいわかりやすい。
実用書だが、ある意味非常に現実的な哲学書ともいえる。
あらゆる年代のあらゆる人にお薦め。
第2次世界大戦がよくわかる本
第2次世界大戦がよくわかる本―20ポイントで理解する 第2次世界大戦がよくわかる本―20ポイントで理解する
太平洋戦争研究会 (2006/02)
PHP研究所
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太平洋戦争研究会による20ポイントでまとめた戦争解説シリーズ。
これはヨーロッパ戦線、1939年(昭和14年)9月1日のナチスドイツのポーランド侵攻から1945年5月9日のドイツ降伏(ベルリン)同年9月2日の日本の降伏までを解説した本。
これもおそらく左側…というかソ連の扱いをみると西側・・・のバイアスが多少かかっていると思われるが、資料の積み重ねから簡潔な表現が用いられており、極端さはない。

ナチスの話も改めて読むと面白い。
ガキっぽくもヒステリックながら、ゲーリングやゲッペルス、ロンメルなど実に多彩なキャラクターで、よくこんな連中を揃えたもんだなと感心する。
ヒトラーの話を読んでいて思ったのだが、やはり没落していた人間は2回連続で伝説的な成功を収めると、驕慢してリスクヘッジが出来なくなり、都合の悪い情報を受け入れられなくなるらしい。
(岩田社長もいつまで冷静でいられるだろうか)

ナチスの制服をみていて何かに似てるなーと思ったが、ガミラス人のコスチュームにそっくりだ。
デスラーなんかヒトラーそのまんまである。

またホロコーストの実態も改めて文章で確認すると実に凄惨だ。
人種差別はあらゆる国で存在したが、人を効率的に処分する方法を計画・実行したのはドイツだけである。
オールオアナッシング。
YMOとクラフトワークを聞き比べると、後者のほうが極端に音数が少ないのに気付く。
国民性なのだろうか。
でもラインハルト・ハイドリヒとか、好きな人は好きそうだな

またアジアとヨーロッパの連携性という点では、黄色人種を蔑視していたナチスとわざわざ同盟を結んだ松岡洋右のアホさ加減にがっくりきた。
こいつのトンチキなビジョンが、ただでさえすべっていた当時の日本の状況を完全に脱輪させたのである。
もうすこしマトモな奴はいなかったのだろうか?
インターネット社会になってなおさら実感しているが、英語はもう普通の人でも絶対に必要だ。

イタリアの弱さも特筆に価する。
ヒトラーと同盟関係でありながら、ほとんど相手にされなかったムッソリーニ。
その軍事的戦略はことごとく失敗しており、国内のレジスタンスに討たれて逃げるという有様だ。

ドイツ-ポーランド-ソ連の関係は日本-朝鮮-中国の関係に似ているのではないかと思った。
日本もドイツとポーランドの関係を研究すれば何かがわかるのではないだろうか?
それともドイツの掲示板では嫌ポーランド厨とか大量にいるのだろうか。

ルーズベルトとチャーチルの個人的な交友も興味深い。
2000通以上の手紙のやりとりがあったそうだ。
こういった個人的なパイプが国レベルの運命を左右するらしい。
世耕議員も文通している海外の政治家がいるのだろうか?


全体として、20世紀前半は人類全体が厨房レベルというか、とにかく戦って勝つしか考えていなかったのだなあという感じがする。
もちろん、テクノロジーが未発達で貧困もひどかったというのもあるのだろうが。
日本のネット環境も非生産的な差別主義から早く卒業してもらいたいものである。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

日本の戦争力VS北朝鮮、中国
日本の戦争力 VS 北朝鮮、中国 日本の戦争力 VS 北朝鮮、中国
小川 和久 (2007/03/30)
アスコム
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小川和久さんによる日本軍事状況解説書の第二弾。
今回は何かと話題というか、「脅威」として語られることの多い北朝鮮・中国に絞った解説になっている。

単純に軍事力だけでなく、兵站などを含めた経済力、政治状況などをトータルに考慮したうえで冷静に語られており、非常に説得力がある。

現状の中国は「バターも大砲も欲しい」状態だそうだ。(P109)
つまり経済力も欲しいが軍事力も欲しい。
政冷経熱というように、経済の結びつきは政治の争いを超えている。
その辺から脅威の解体をすればよいということだろう。

マスコミが先頭を切って世の中を煽っているのは、毎度のことながら非常に問題だと思います。(P62)
この「毎度のこと」が戦前からだったんだから、もう本当にダメである。
日本のマスコミは「売れる情報を売る」というパラダイムを超える方法を考えるべきだ。

「最近の日本では、過去の歴史や生身の相手とロクに向き合おうともしないまま、インターネットで乱暴な議論が横行していたりしますが、きちんと相手の姿を見据えたうえでじっくり語り合えば、日本と中国の関係は好転していくだろう」(P126)
いや全くだ。ネット右翼も紅客も等しくアホである。
自分も相手もわからないで思い込みだけで吼えまくってるんだから。

カレル・ヴァン・ウォルフレン・著「アメリカからの「独立」が日本を幸福にする」には、日本は憲法を改正して軍隊を持ち、独立した主権を持つべきだという主張がなされていた。
読んだ当時は『基本的に同意するが、現実はそれほどシンプルでも甘くもないのでは』と思ったが、小川さんの解説によるとまさしく非現実的な話らしい。
コスト的にも全く割に合わないし、もし日本が核武装することになったら日本の孤立化は避けられないとのこと。
ま、日本と韓国が戦争に絶対ならないのはアメリカという親分に仕切られているからだ、というのは知っていたけどね。
ウォルフレンと小川さんが対談したらどうなるだろう。

危機管理ための組織再編成の話もいろいろと解説したある。
やはり安全はタダではない。


全体として現実を見据えた上で理想も忘れないスタンスが通っているのは素晴しい。
しかし、承服しかねる点もいくつかある。

例えば、P278では自衛隊が自由で民主的な組織だと力説されているが、ならば何故あれほど大量の自殺者が出てくるのだろうか?
確か前に調査が入るとかニュースがあったが、結果は聞いていない。どうなっているのだろうか?

また、イラク派兵についても「高速道路の中央分離帯」ぐらいの危険なところなんだから武装していくのが当たり前だ、との話だが、そんなところに日本の組織を持っていくこと自体がおかしいのではないだろうか。
どうせなら、最近落ち込み気味のゼネコンを、もっと治安がよくなった状態のところで輸出したほうがよっぽど役に立つし恩も売れると思うのだが。
ダメなんだろうか?


前作同様、非常にいい本である。日本人全員にお薦め。

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自民党改造プロジェクト650日
自民党改造プロジェクト650日 自民党改造プロジェクト650日
世耕 弘成 (2006/07/14)
新潮社
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2007年6月現在、首相補佐官を務める世耕弘成議員による政治活動の裏話。
2003年あたりからの自民党内の変革や、05年の選挙での大勝利、杉村太蔵議員へのフォロー、ブロガーとの会合、チーム世耕の立ち上げ、永田メール問題などについての戦歴について語られている。

世間一般の感覚との距離調整から改革をはじめたようだ。
まず政治とカネの関係の透明化からウェブサイトで政治資金について報告できるようにしたり、1回で3,400万円がホイッと渡される、自民党のモチ代・氷代などの廃止にとりくんだとある。
しかし、その後、ニュースなどでこれらの金について記事になったのを見たことがある。
まだなくなってはいないようだ。

自民党広報の立ち上げの話も面白い。
なんとなく広告業界のプロダクションの裏話をきいているようだ。
コンプライアンス勉強会を開いたり、コンペを行ったり、シンクタンク(プラップ社)を雇ったりしたという。

ブログ会合の話も面白い。
「自民党がここまでやってくれるのか。俺たちを特別扱いしてくれる」(P127)
と囲い込みに成功してニンマリしているところが伺える。
2ちゃんねるはゴミの山で、アルファブロガーは政治家から特別扱い。
その内政治家と癒着したり献金受けたりしたやらせブログが炎上するケースが出てくるだろう。
ネットはフラット化というよりヒエラルキーをつくるほうにシフトしているようだ。

表紙は白地に赤文字とこの手の本にしては珍しく爽やかなカラーリング。
帯の世耕議員も自信満々で、険しい顔した老人が映ってる他の本とはえらい違いである。
ここまで自己演出がうまい人をみてると、何とかして痛いところをついてみたい気がするが、うっかりそれをやると沖縄のホテルで『自殺』するような危険性があるので注意したい。

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メディア進化社会
メディア進化社会 メディア進化社会
小寺 信良 (2007/05)
洋泉社
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小寺信良さんがITmediaなどの書いていたコラムをまとめた本。
ネット社会と現実社会のズレについて分析・考察して展望をまとめてある。
インターネットの法と慣習」をさらに普通の生活者よりの観点から語ったような感じ。

既存のマスメディア批判、災害時のメディアのあり方などちょっとありがちなネタもあるものの、ちゃんと地に足がついた冷静なもので、周りが煽ってるからオレもというものではない。
その証拠にウヨサヨ談義に堕ちていない。

人はなぜコンテンツを買うのか(P31)
人は「参加欲」から、コンテンツを購入する、という説。
これは「人は情報には金を払わない。感動に金を払う」という説とほぼ同じである。
つまり感動という文字が「感じて動く」というように、人を動かした時にカネも動くものなのである。

情報過多による「Level1飛行艇」症候群(P203)
またまたまた情報が少ないほうが身に付くことが多いという話が出てきた。
もう検索して情報を絞り込むという時代はとっくに過ぎて、いかにして情報を削り込むかが問題になっているかということである。
「マニュアルを読むのはある意味負けである」はゲームのインターフェイスでは当たり前だが、PCやデジタル機器ではそうではない。

「日本のコンテンツサービスのあり方に不満があるとしたら、日本のコンシューマ側から要求や期待を伝えるという努力がなされていただろうか(ホワイトサイド・インテル副社長)」(P258)
という談話について小寺さんは、日本人はデモ行進などの団体交渉に期待していない、という分析をしている。やはり日本人は民主主義を消化できていないんだろうなあ。
ただ、それに対して「強力なスポンサー力でコンテンツホルダーを動かしていこう作戦」というのを提唱している。
ネットは衆愚だが民主主義にもなりうるのだ。

録画ネットは複製権にひっかかって×、まねきTVは送信可能化権をクリアして○という話(P301)も実に微妙で面白い。
放送と通信が融合しても権利関係は融合しないようだ。

全体的にわかりやすい上、かなり核心をついた話が多い。
もう少しでモチベーションとインセンティブの違いもわかりそうな感じである。
メカニック畑の割に、普通の生活者の感覚からみた素朴な疑問点が解説してあり、比喩表現も的確だ。バランスにすぐれている。

ネットに関わる人全てにお薦め。

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書物観光
書物観光 書物観光
山崎 浩一 (1990/06)
河出書房新社
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知のアンチ巨人・山崎浩一が80年代にポパイで連載していた書評をまとめたもの。
このブログの文章のまとまりがいまいち悪いので、参考のためざっと読み返してみた。

情報量と論点は深く重く、文体と着眼点は広く軽い。
紹介されている本に対して、全く興味や事前知識がなくてもちゃんと読める文章になっているのがすごい。
読み捨てられることを前提としていながら、ちゃんと保存に耐えうるものになっているのだ。
山形浩生の「面白さを伝えることの難しさについて」と比べるといいかも。

また本の内容を紹介するだけでなく、「どういう視点で描かれているか」について言及しているところが多いのが特徴。
この辺は、西垣通さんのいうような情報とは人と環境との関係のことである」という世界観と合致する。


山崎がこの書評欄で読まされた本がかなりの肥やしになっているのは間違いなさそうだ。
「ゲイ」「ビタミン」「田中角栄」など、その後他の連載で展開された話の元ネタになっている本がいくつも見られる。
またこれだけパラダイムの拡張を強制されれば、引き出しも異次元ポケットなみになるだろうという気がする。

対立する二つの意見を並べて比較・検討して最後まで自分で結論をださずにギャグで逃げる、頭の中で整理のつかない話は対話形式にしてランダムにネタをふる、などのテクニックが使われだした様子もうかがえる。

買ってから17年経って初めて気付いたがこれ「書物刊行」のシャレだったのか。
前書きで「ほぼ時間軸に沿って抄録されている」というが、時間軸についてはバラバラに抄録されている。
なぜ本文を読めばわかるような嘘を書いているのだろう。

紹介されている本は古いが、内容が古いということはない。
80年代のカルチャーを丸ごと確認したい人、出来るだけ短時間で見識を深めたい人にお薦め。

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パチンコ「30兆円の闇」
パチンコ「30兆円の闇」―もうこれで騙されない パチンコ「30兆円の闇」―もうこれで騙されない
溝口 敦 (2005/09)
小学館
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年間30兆円のカネが動くパチンコ産業の実態について溝口敦さんがレポートした本。

パチンコ警察の間にある利権と癒着、三点方式によって換金可能になりギャンブル化した現状、それにより中国・朝鮮に渡っていく日本のマネー、見えそうで見えない政治家とパチンコ業界のつながりなどが克明にルポされている。

しかし個人的に驚いたのは、パチンコの世界が廃人大量生産娯楽であるネットゲームの世界に酷似していたことである。

・三点方式→リアルマネートレード
・パチンコ依存症→ネットゲー廃人
・台の遠隔操作→チート
・裏ロム→BOT
・ゴト師→改造コード職人

最後の改造コード職人はネットゲームとは関係がないが、様子が似ていたので挙げてみた。
上に挙げた例の中で、私が一番ショックだったのは三点方式というパチンコの換金システムである。
パチンコ台で出た玉を店で特殊景品に替える。
その特殊景品を店の近くの景品交換所で現金に換金する、という仕組みだ。
(換金後の特殊景品は問屋を通じて店に戻る)

ワレザより更に堕ちた人達にトレーダーと呼ばれる人たちがいる。
トレーダーとは、ネットで落としてきたファイルをCDやDVDなどのメディアに焼いて売るようなモラルも糞もない厨房以下の金の亡者のことである。
まさか警察がそんなトレーダーまがいのことをやっているとは思わなかった。

また、ここで気が付くのは、やっていることは同じでもネットゲームは時間消費型の娯楽で、カネのやりとりが余りないため、利権漁りの権力者が介入してきていないということである。
警察官僚に理解しづらいオタクの世界だったから、というのもあるだろうか。
そういう点から考えて、ネットゲームのRMTや安易なゲームデータの販売は慎むべきだろうと個人的には考えている。
(ヴァーチャルコンソールの値段も議論が多い)

この本ではセガとサミーのパイプなどについても詳しく記述されており、ゲーマーが読んでも面白いものになっている。
(読む分にはいいが、ハッキリ言って関わり合いたくない世界だが・・・)

それにしても日本の治安を守るための警察が、利権のために日本の国富を流出させ、ギャンブルに狂った国民を不幸に陥れているのに一役買っているなんて、とんでもない話だと思う。

満州では阿片の利権に軍と政府が関与していたそうだ。
ギャンブルとは麻薬のようなものであり、パチンコはギャンブルである。
現状は阿片を国内で製造・販売してそのキックバックを警察が受け取り、その資金を海外に回しているようなものではないだろうか?

これは作者のいうように、パチンコに関する法律を作り直し、パチンコにまつわるカネの流れを整理するべきだと思う。

平日にパチンコ屋にいくと、およそネットゲームなんか知らないようなおじさん・おばさんが大量にいて吃驚するが、彼らも泡銭に踊らされるぐらいなら、時間消費型のネットゲームに切り替えたほうがいいのではないかと思う。
そうすれば日本のゲーム会社は儲かるし(国富が日本に留まったまま)、パチンコに溺れている人が経済的に困る(どっちみち娯楽に溺れるなら無駄なカネの流出がないほうがよい)ということもなくなるだろう。


最も身近なアングラマネーの流れについて理解したい人にお薦め。


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大日本帝国がよくわかる本
「大日本帝国」がよくわかる本―20ポイントで理解する 明治維新から太平洋戦争まで 「大日本帝国」がよくわかる本―20ポイントで理解する 明治維新から太平洋戦争まで
太平洋戦争研究会 (2006/04)
PHP研究所
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大日本帝国の成立から崩壊までと、現代と当時の違いについて20ポイントにわけて解説した本。
著者は太平洋戦争研究会とあるが、本編執筆は森山康平(1942年生)。
たぶん左側にバイアスがかかっているが、資料の積み重ねを重視しており、感情的ではない。

ペリーの来航から欧米列強の植民地化を恐れた当時の維新志士が1889年2月11日に大日本帝国憲法を発布、廃藩置県やら富国強兵やら殖産興業やらして一極集中型の国家を成立させた。
その方針は欧米列強をモデルとした帝国主義であり、それを支えたのは軍事力であった。
モデルとなった欧米列強は第一次世界大戦の経験から帝国主義の限界を感じていたものの、日本のほうは日清・日露と勝ち続け、とにかく戦争やって勝ちさえすれば領土と利権が手に入ると勘違いしてしまった。
そこから昭和維新を経て太平洋戦争に突入、1945年(昭和20年)敗戦して事実上消滅した。
というのが大まかな経緯。

国体、すなわち国としての体裁という概念が当時にはあったそうだ。
国民国家は「想像の共同体」というが、当時の人は「ムーの文通欄にいる、前世を信じ込んでいる人」ぐらい国家というものに対する思いこみの激しい世界だったらしい。
恐らく、イタリアにはこういったヒステリックな結束力がなかったため、あれほど軍が弱く、ソーシャルキャピタルも低かった(今でも低い)のだろう。

また軍人勅諭や教育勅語といった、当時の主権であった天皇に求心力を持たせるためのドグマも内容を詳しく見てみるとかなりすごい。
「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽し」命が羽毛より軽いと言い切っちゃってるのだ。
アラー・アックバルである。玉砕が美徳になるわけである。

従軍慰安婦に関する記述もあるが、「軍部は(中略)要求し、業者はそれに応じた」といったものになっている。(この本自体は割と左巻きっぽいのだが)まあ、どっちみち扱いがひどかったのは本当らしいが。

上下水道、冷蔵庫、洗濯機といった当たり前のテクノロジー・インフラが完備されたのはだいたい戦後からである。
当時は技術も資源もなかったから、それらを精神力と結束力で補うしかなかった。
そのためには国全体が集団ヒステリーになってもしょうがなかったということか。


全体的な流れと、細やかなディテールや雰囲気の説明などのバランスもよくわかりやすい。
意外に今と同じだったんだなといったところと、時代が時代だったからしょうがないのかなといったところと、どう考えてもついていけないわというところが混在して複雑な気分になるが、一冊の本としては悪くない。


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イタリア・マフィア
イタリア・マフィア イタリア・マフィア
シルヴィオ・ピエルサンティ (2007/03)
筑摩書房
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ちょっと立ち読みしてみたところ

「残念ながら、マフィアではない多くのシチリア人にとっても、シチリアとはマフィアなのである。」(P9)


というくだりが

「ここで重要なことは、ヤクザにマイノリティが多かったとしてもその逆は正しくないということである」(「日本マスコミ・臆病の構造」P130)


という辺りとピッタリ一致していたので、思わず買ってしまった。

イタリアは北部と南部でだいぶノリが違うようだが、日本も関東と関西ではだいぶ違いがある。
イタリア南部でマフィアが根を張った過程と、日本の関西でヤクザが根を張った過程を比較したり、ペルルスコーニとマフィアの関係と小泉純一郎と稲川会の関係を比べてみれば、何かがみえてくるのではないか? と思ったのが購入した理由。

読後の感想としては、日本よりもイタリアのほうがアウトローの影響力は強い、といえそうだ。
例えば、日本では児玉誉士夫が安保闘争の時にゴロツキを集めて対抗したようにヤクザは政治の道具だが、イタリアでは政治家だろうが裁判官だろうがなりふりかまわず粛正してしまう。

ちなみにマフィアがはびこってるせいで、ソーシャルキャピタル(取引に関する社会的信頼性)の低さが問題になっているが、ムッソリーニが統治時代のイタリアではマフィアを徹底的に排除したため社会的信頼性が上がり、列車などが時刻通りに運行されていたそうだ。

もっともその一方でアメリカとマフィアの関係も深いそうだ。(P69)
シチリアをファシストから解放するため上陸したアメリカ軍は、その後EVIS軍(シチリア独立有志軍)という私兵団をそしきさせ、レッドパージに使ったとか。
イタリアにも破防法みたいな法律はあるのだろうか?

また日本のヤクザはやり方が非合法なだけで営利団体化が著しいが、イタリアのマフィアは任侠、更に言うと宗教にちかい価値観と規約を持っているらしい。
マフィアの絶対厳守のルールは以下のようなもの

・弱者は守れ
・仲間を殺すな、必要ならば手をさしのべよ
・盗むな
・他のものである女を望むな
・警察のスパイになるな

(以下略)

えらく道徳的に聞こえる。
因みに売春も金儲けに使ってはいけないそうだ。

「オフロに沈める」はないらしいが、マフィアの殺害方法として硫酸が使われることが結構あるらしい。


全体として非情な世界だが、地名・人名などの固有名詞になじみがないうえ、心理描写もないので、読んでいていまいちピンとこない。
国会議員ピオ・ラ・トッレとかネオファシストのダニーロ・アッブルチャーティとかダッラ・キエーザ長官とかロボットアニメのやられメカプロレスの技みたいにしか聞こえない。
話は残忍だが、読んでいてショックを受けるということもない。

権力闘争ネタの好きな人の他に、イタメシ屋でそれらしい話題を振りたい人にもお薦め。
トラブルバスター
トラブル・バスター トラブル・バスター
景山 民夫 (1990/09)
角川書店
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ニュースで「関テレ」「テレビ局のヤラセ」と何度も聞くたびに思い出していた小説。
景山民夫が宗教に走る前に書いていた傑作小説。1988年発表。

番組をコケさせすぎて左遷させられたテレビ局の元ディレクター・宇賀神邦彦が、関東テレビ第二制作部長・田所のもとで、テレビ界のさまざまなトラブルを解決していく話。
ここの舞台になっているのが「関東テレビ」という架空のテレビ局で、略して関テレなのだ。

制作プロダクションとプロデューサーの癒着、クイズ番組の解答のヤラセ、芸能人のゴシップ、などなどの処理の話が業界裏話的に進む。
登場人物はどれもインチキ臭く、中身がなさそうなやつばかり。
ただ、テレビが局内で番組を制作していた時代であり、ネットが登場する遙か前の、テレビが輝いていた時代の話なので、あの当時のパワーは感じられる。

主人公・宇賀神と田所のボケ・ツッコミが面白い。
基本的に一話完結なので話は短く、核心に迫ったあたりで急にオチがくることが多い。

同作者が同時期に書いたエッセイ「極楽TV」を読むと、話の元ネタになったエピソードや人物がわかって面白い。
また、メディアとしてのテレビの本質は「現実の再演出」あるいは「やらせ」、「作為」であるという主張も面白い。
結局、普通の話をいかに面白く話せるかが芸ということだろう。


懐かしテレビの話が好きな人、短めで笑える小説が読みたい人にお薦め。

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死の壁
死の壁 死の壁
養老 孟司 (2004/04/16)
新潮社
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「バカの壁」の続編のようなものだが、内容は「人間科学」をわかりやすくしたようなもの。
戦争における人殺し同様、日常生活の一部としてしっかりと存在しているのに、言葉にだされないまま(非成文のまま)隠蔽される、ヒトの「死」について語った本。

個人的な体験や、寓話、故事など身の回りの実感しやすいところから、わかりやすく語られているところに、学会の常識と日常の常識のギャップを感じていた作者の姿が伺える。

作者はもっぱら死について、共同体を考えるキッカケとして捉えている。
間引きは日本社会だけにあるシステムであり、死刑制度は村八分である、と。
そういった制度の采配を採るのはエリートだが、その役割は加害者であり、心に重荷を残すという。
(この辺は「戦争における人殺しの心理学」に詳しい)

死体の人称単位(P76)
1人称の死はわからない。生きてるうちには見れないから。
アンディ・ウォーホールの自伝「僕の哲学」でも、すごく記述が短かった。
高部正樹・著「傭兵の生活」でも、苦痛についてはいくらでも話せるが、死についてはわからない。と言っていたな。
怖がるだけ無駄ということか。
「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計でしかない」というスターリンの言葉は、二人称の死三人称の死の違いを述べたものだろう。
知ってる人の死と知らない人の死では、感じ方が全く違うということだ。

「ゲームの中の死」(P52)
怖いのは死のイマジネーションであって、実際の死体は「こんなもんか」という程度のものだという話。
そういえば、酒鬼薔薇も「人殺しをしても、あまり感動しなかった」といっていた。


口述筆記なので、非常にわかりやすい。
作者は今まで思っていたことが全部話せたそうだ。
つまり、それだけタブーに近かったということか。

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テレビゲーム文化論-インタラクティブメディアのゆくえ
テレビゲーム文化論―インタラクティブ・メディアのゆくえ テレビゲーム文化論―インタラクティブ・メディアのゆくえ
桝山 寛 (2001/10)
講談社
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桝山寛さんがテレビゲームについて文化的・産業的・歴史的に語った本。
データも詳細でよくまとまっており、直接任天堂を絶賛することはないまでも、任天堂式ゲーム観の影響が強い。
(この本が出た頃はPS2がこの世の春だったのだが・・・)

前半のハードワイアード時代のレトロゲーム裏話は、80年代前半のカルチャーに熱いモノがこみ上げてくるような新人類にはいいかもしれないが、見ようによっては「ストーンズのコンサートに行ったんだぜおじさん」にしかなってないような気がして不安だ。

全体的におハイソなノリなので、文化といってもエロゲーなどのいかがわしい話についての言及はない。
「文化」って、ストリートに近い猥雑さ、末端のほうの面白さを理解してないと意味がないと思うのだが。
せいぜいPILのキース・レヴィンがゲームを制作していた、という話ぐらいである。
このノリでエロゲーについて解説したら面白いと思うのだが(文学性やネットカルチャーとの絡みなど)、業界残酷話にしかならないのだろうか。

4章の「テレビゲームは日本文化か?」という問いは、田尻智の「自分たちにとってのリアルとは何か?」という問題提起と同じである。
あらゆる表現者は表現にあたって自分の原体験とは何か?という命題に突き当たるようだ。
糸井重里も「釣りをしたことないヤツが釣りのゲームを造っても気持ち悪いだけ」といっていたし、ピカソも「プリンの味を知るにはプリンを食べるしかない」といっていたし、手塚治虫も「漫画以外の経験が漫画の面白さにつながる」といっていた。
あなたの価値観の根本はなんだろうか。

しかし、世界における日本、日本における文化、文化におけるゲームというような見方は常に必要である。
忘れないで考え続けていきたい。

「新たな共同体感覚」、「テレビゲームが身体を持つとき」などのあたりもwiiが発売された今、改めて読み返すと面白い。
というか、この本の書いてある問題点をひとつひとつ潰していった形がwiiなのではないかという気がする。

2007年6月に読み返してみたところ、懐かしさはあるものの古くはない。
サブカルというより教養書としての奥行きを持っているからだろう。

理論武装が必要なゲーオタ、ゲームの日本文化における位置などを知りたい人にお薦め。

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ヴァーチャリアン嘘つかない
ヴァーチャリアン嘘つかない―マルチメディアの正体を暴く ヴァーチャリアン嘘つかない―マルチメディアの正体を暴く
渡辺 浩弐 (1994/02)
メディアワークス
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時は1994年。
スーパーファミコン後の次世代ゲーム機戦争の直前であり、ネット社会出現の前夜でもあった時期に書かれた、マルチメディアの本質をついた本。

マルチメディアに実体はない。ゲームとネットだけに未来がある」というのが本書の意見。

実体のないバズワードに踊らされて泡銭を無意味に流す向きを批判する一方、ゲームの本質やネットの将来性について語っているが、今読み返しても、本質的な部分でははずれているところが全くないのがすごい。
レトリックは大まかにいって非常にお下品なものだが、それは話を面白くする(シモネタほど敷居の低いネタ振りはない)こととゲームの本質(生理機能を直撃する快楽文法)を解説するためだろう。

リアリティーよりバーチャルリアリティーのほうがリアルである。(P17)
という話はマクルーハンっぽいというより、むしろ唯脳論っぽい。
ゲームの中のリアリティは、脳の中のリアリティである。
ゲームの中の痛みは、ありもしない体の一部が痛むファントム・ペインである。
(そうか、唯脳論を読んだときあんなに面白く感じたのはゲームの話だったからか)

本質的なゲームの面白さは「動物本能を刺激する抽象性」である。(P29)
ゲームにリアルな映像と音は必ずしも必要ではない。

この本では3DOがマルチメディアマシンとして解説され、ニンテンドウ64(本書の段階ではプロジェクト・リアリティー)がゲーム性の3D化への予兆を含んだマシンとして紹介されている。
ご存じのように、3DOはリビングに置かれるどころか誰にも買われることなく消滅していったのだが、今現在wiiがそのコンセプトを丸々飲み込んだシステムで大成功しているのをみると、やはり商売はタイミングをみるのが重要なんだなあと痛感する。

巻末の「マルチメディア的ゲームソフト10選」は、DSのソフトやwiiのバーチャルコンソールの参考として読んでも面白いだろう。
古くても正しいものは、読み返すと新しいものだ。

「最後の大サービスです。ここ、早く読んだ人勝ち!」(P146)
「データベースとデータベース間を繋ぐためにはそこにある「意味」が必要だ。その「意味」をソフトウェアとして提供する商売。これは間違いなく、クる。」
今、グーグルの時価総額は17兆円である。
しかも、この文章が書かれた時はまだ「検索エンジン」という言葉すらなく「メディアのDJ」といった言われ方をしていた。


非常にわかりやすい文体で、今読んでも古くない。(ブルセラやギルガメッシュナイトなどのデテールは古いが)
入手は困難かもしれないが、ゲームの面白さを解説した古典として必ず押さえておきたい一冊。

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