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個人的な読書感想文
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軍事学入門
軍事学入門 (ちくま文庫 ヘ 10-1)軍事学入門 (ちくま文庫 ヘ 10-1)
(2007/06)
別宮 暖朗

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世の中は、強い奴と弱い奴がいて、揉め事がなくなることはない。
その対処方法を歴史からひとつひとつ検証した本。

意外に第一次大戦からの記述が多く、国際問題の処理方法を軍事的に切り取って解説してあり、「国家とは何か」という点については理解しやすい。

戦争と平和という対立概念ではなく、戦争と戦争の準備期間として捉え、いかに準備期間を延長するか・・・という世界観だ。
戦争を抑止するのは、結局つきつめると軍事力しかなく、過剰に理想主義的な軍事力の放棄は却って外国の侵略を誘発するという話は説得力がある。
国境線のない世界など、レノンの夢想の世界にしかないということか。
しかし、別宮さんにとっては、ガンジーの非暴力主義などはどう受け止められていたのだろう?

戦争は勝利することよりも大敗しないことのほうが重要だと思うが、一度起きてしまった戦争を何とかして収束させる方法については、今ひとつ考察が甘いような印象を受ける。

また長年の疑問だった「ヒトラーはなぜユダヤ人を嫌ったか」(P163)についても、解説がしてある。
レーニンの帝国主義論には、戦争の背後に国際金融家があるという陰謀論があり、ヒトラーはこの陰謀論の影響化にあった。
そして英仏の後ろにいるユダヤ金融があり、その工作によってドイツが第一次大戦で敗戦した、というのがヒトラーのロジックだったらしい。
結局陰謀論か。
金貸しは良心を切り売りする商売で、恨みを買うことが多いということだ。

最終項では、今後戦争を誘発しそうな地域が紹介されているが、『中国-この狂気の国』(P281)というのはいくら何でも、右側のバイアスがかかっているだろう。
確かにニセモノwiiから極大化する軍事力まで、得体の知れない話のてんこ盛り国家だが、個人個人まで確認すれば全部が全部キチガイということは考えられないはずだ。
これは生身の人間と対峙することを怠ったまま、ネットで自己完結した思い込みを垂れ流している連中と変わらない。

山本七平のいうように、言語と社会を理解していけば、何らかの落としどころはあるはず。
相互理解を怠って猜疑心だけを暴走させるのは、結果として無限のコストがかかる国防費を招き、非常に非効率で、頭の悪い展開になるだけだ。
隣接する国はデフォルトで対立するもので、双方のバイアスは避けられないもの。
しかし、それに埋もれてもしょうがないと思うが。

イラク戦争も、アメリカが石油目当てで始めたという意見について「根拠がない」と論じており、浜田和幸の公共事業説を否定している。
では何が原因かというとその説明はない。
まさか中東の民主化のためということはないだろう。
そもそも、アメリカの経済がガタガタになったあのベトナム戦争ですら、軍需産業は潤ったはずだ。
根拠がないなら説明して欲しいものである。

アフガニスタン戡定戦争の発端を、2002年9月に発生した同時多発テロ(P249)なんて書いてあるが、これは2001年の誤植か誤字だろう。

全体として右っぽいが、分析はいたって冷静だ。
右といっても、国益を守るためには強硬論も必要という一般論を語っているだけで、ネットにありがちな差別的なヒステリーではない。(中国・韓国がからんでくるとおかしくなってくるが)
個人的にも現実の厳しさはこんなもんだろうとは思うが、もう少し理想を交えてほしかった。
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テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

比較文化論の試み
比較文化論の試み (講談社学術文庫 48)比較文化論の試み (講談社学術文庫 48)
(1976/06)
山本 七平

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ネットでノイズを省いた、極力短いモヒカン的文章を書こうと心掛けていると、単行本で本を読んだときに『これって別になくてもいいところなんじゃねえの?』と思うことが結構多くなってくる。

例えば、「フラット革命」の第二章「よるべなく漂流する人たち」は、別にインターネットがなくてもフラフラ漂流していたであろう人達の話で、わざわざ入れることはないと思う。
また「ウェブ社会をどう生きるか」は巻末のまとめだけで、話がまとまっており、170P以上ある本文はむしろ箇条書きのまとめの後に持ってきてもいいのではないかという気がした。
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」の対談二つも、ひろゆきの本文が短くまとまりすぎているため付け加えられたのではないかと睨んでいる。
「ゲームニクスとは何か」に至っては、せいぜい数十行のブログのエントリーひとつを無理矢理一冊の本に拡大したようなもので、話の内容より容量の無駄な増やし方のほうによっぽど感心させられた。

この「比較文化論の試み」は日本と外国のコミュニケーションギャップについて、宗教や歴史から検証・分析したものだが、あとがきを含めて100Pに満たない長さながら非常に内容の濃いものになっている。
もとは山本七平が昭和49年8月に富山で行った講義をテキストに興したものだそうだ。

西欧は自分達の文化を普遍的なものとして捉えているのに対し、日本人は日本を特殊なものと捉え、それを相対化して受け止めることが出来なかった。
相対化によって自分達の文化を再確認し進歩させるべきだったのが、むしろ自分達の文化を殺すほうに進めてしまった。
作者は指摘していないが、廃仏毀釈なんかモロにそうだろう。
養老孟司も「日本は歴史を消す文化だ」といっていたな。
国家の経済的破産は回復可能だが、文化的破産は回復不可能だ。

これは海外から日本に文化が入ってきた場合の話だが、逆に日本から海外へ文化を発信する時にも同じように、“文化の相対化”が出来ないが故に、相互理解が進まなかったらしい。
例えば、太平洋戦争時に、軍がシンガポールに昭南神社を建てた。
それで回教徒のマライ人に神社礼拝を強制したというエピソードを紹介している。
つまり、アジアの開放といいつつ、アジアと日本を相対化できず“鎖国したまま膨張”したような状態であったということか。
(たまたま戦争の時の例を出しているのであって、左翼トークではない)

1章「ひとりよがりの日本人」では、こういった特徴を、普遍的な文化を持たなかったことによる精神的な弱さであるとしている。
「なぜ自分がそう考えるのか意識ゼロ」「自分の考え方は真理だと信じている」など、オレがこうだからお前もこうだろうという独りよがりによって、交渉が出来ず、状況が悪化していくことを指摘している。
これを回避するには、自分の考え方の再把握が必要だという。
やはり、自分のバイアスのかかり具合が誰の影響にあるかを確認するのは重要だろう。

P35「仏壇がなくなってテレビが出てきた」という話は面白い。
西洋人は教会とか劇場とか、ある場所にいかないと臨在感を感じないが、日本人はこれがないという。

P61「すべて言葉にしなければ無効」
『日本-アラビア語の辞書もないのに親アラブというのはおかしい』という話を例にとり、日本人は言語というものをおろそかにしすぎだという指摘をしている。

確かにこれは正鵠を得ており、従軍慰安婦騒動の時にも、ゲハで海外ソースのスレみている時にも実感した話である。
「国家の品格」にあった、英語より先に日本語を教えろという話は間違いだ。
よく考えたら、原油のほとんどを中東からの輸入に頼っている割に、我々はムスリムのことを知らなさすぎかもしれない。

また、ネットでの中国・韓国についての話もほとんどが排泄行為のような自己完結に終始しており、向こう側に生身の個人がいることを想定したものはない。
年柄年中韓国のことばかり考えているような人は、むしろ韓国語を覚えて、その熱い思いを直接伝えてみたらどうだろう。

「初めに言葉あり」というのは「ヨハネ福音書」の冒頭の句だが、この“言葉にする”ことをロゴス化という(P63)
戦中、日本は敵性語として英語を使うことを禁じた。また日本軍は情報(インテリジェンス)を疎かにし、敗北した。
インターネット時代を迎えて、戦略としての言語の重要性はますます高まっているのではないかと思う。

P86「日本にない対立概念」
日本人は個人の内部に善悪が存在すると捉えず、善玉・悪玉の二種類の人間に人を分けてしまうという指摘。
こういった二元論が、政治や日常生活までについて様々な弊害をもたらしていると言う。


全体として日本社会の捉え方は養老孟司に近い。
養老が国内の村社会の特性を語ってるのに対し、山本七平は対外的に日本の村社会の特性を語っているといえるだろう。
作者は大学卒業後、ルソン島で日本兵として派兵されていたので、戦争中のたとえ話が多いが、現在にも通じる普遍性を持った話が多く考えさせられることが多い。
非常に具体的で、感覚的に微妙な点を機軸に国民性を語っているところが面白い。

インターネットで外国人と接する機会が増えると尚更実感するであろう話が多いので、日本人のネットユーザー全てにお薦め。

テーマ:**おすすめbook!!** - ジャンル:本・雑誌

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