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イスラームの世界観 移動文化を考える
イスラームの世界観―「移動文化」を考える (岩波現代文庫 社会 161)イスラームの世界観―「移動文化」を考える (岩波現代文庫 社会 161)
(2008/02/15)
片倉 もとこ

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移動するムスリムと定住する日本人、その先にあるグローバルなモバイル化。

イスラム文化を「移動の文化」と位置づけ、その特徴を探った本。
単にイスラム文化の紹介に終わるのではなく、日本文化との比較、人生観の再定義、グローバル化した社会を示唆したものなど、読み取れることは非常に多い。

<移動の文化>
この本を読んで思ったのだが、日本が定住文化、イスラムが移動文化の原因は水が豊富か否かによるものだろう。

ベドウィンのような遊牧民にとっては、一箇所に留まることは澱んでいくことであるという。
「その時の状況次第」(ハサブ・ル・ズリーフ)で動いて行き詰った時は、「神のご意思あらば」(インシャーアッラー)という訳だ。
こういう感覚は、日本人からみると行き当たりばったりだが、当のムスリムからすれば状況に応じてフレキシブルに生きるのが美徳となっているらしい。
そういえば「傭兵の生活」にも、ムスリムは普段は威勢がいいが、ピンチになると泣き喚いて使えないので信用できない、とか書いてあったな。

それに対し、日本は“動かないこと”が美徳とされる世界だ。
「落ち着く」「終身雇用」「不動の信念」というようにひとつの場所に“一所懸命”に留まることに美学が持たれている。

こういった違いがなぜあるのかというと、おそらく“水”の違いからだ。


中東のほとんどの地域は、ひとところに定着して生活していくには、あまりにも資源がめぐまれなかった。石油よりもなによりも、人間が生活していくのに、まず必要な水が決定的に不足していた。「水にながそう」という表現があるほど、水にめぐまれ、したがってひとつのところに定着して生きていけた日本人とは事情がまったくちがう。(P102)




中東では一日の寒暖差が激しかったり乾季と雨季があったりして水の確保が難しい。
日本では水は村のコモンズ(共有財産)として扱われ、それを保持する(動かさない)ことが最大のルールとされていた世界だ。

日本人は動かない水田を共有してムラを堅持し続けた。
そこで生まれたヒエラルキーを堅持する美徳が、今の官僚支配にまでつながっているのではないだろうか?
また、動かないもの“不動産”に無限の価値があると信じてバブルを起こしたのも偶然ではないような気がする。

日本のゼネコンは、元をただせば、日本の都市の治水管理から始まっているはずだ。
イランやサウジアラビアの日本製のプラントは、日本の動かない文化がアラブの動く文化を補完したものといえるのではないだろうか。


<国民国家の検証>

またその一方で、人々の代表は「国民国家」の名のものに、、ひとつの言語、ひとつの民族で統一しようとする政府を誕生させた。「自由、平等、博愛」をうたいながら、国内ではバスク人など少数民族にフランス語による教育を強制し、他国を侵略したナポレオンの例をひくまでもなく、排他的な愛国主義が近代の西欧世界で吹き荒れたことは、歴史が語るところである。
つまり、一民族一国家ははじめから神話であった。
(「イスラームの世界観」P147)


ナチスほど極端ではないにしろ、フランスも似たようなことやっていたのだ。
それに比べたら大日本帝国の皇民化政策なんてマシなほうじゃないかなあ・・・とはいえないのが敗戦国の悲しいところだ。
イスラムの歴史を遡っていくと、西欧諸国のエゴや矛盾が見えてきて興味深い。

<日本文化とイスラム文化の比較>
またこの本の冒頭部分を読んでいて思ったのだが、日本の世間体とは、ムスリムにとってのイスラム教のようなものではないだろうか?
日本では、宗教が日常生活の中に出てきて、人々の行動に影響を与えることは非常に稀である。
そういう風に長いこと信じ込んでいたが、日本人にも生活の中で行動を制限する規律は存在する。
世間体だ。

それはたまたま、固有の神の名前や物語化された神話を持たないだけで、社会的な機能としては宗教と変わりないような気がする。
山本七平が唱えていた「日本教」がどんなものかは本を読んでいないので知らないが、このことだったのだろうか?

第六話「日本にもある『動の思想』」では、伊勢神宮の遷宮のための「お木曳き」や松尾芭蕉の「奥の細道」を挙げながら、日本にも移動の文化があるとしている。
ここでは、「移動」を流浪というよりは「物理的な更新」、あるいは「情報の採集(フィールドワーク、経験の蓄積)」と捉えられている。

よく動いてきた人は、よく見てきた人である。
よく見てきた人は、よく知っている人である。
賢者とは、経験者であり、経験は移動によって培われるということか。


<インターネットの未来とイスラム文化>
本書は別にインターネットを絶賛する本ではないのだが、インターネット的な価値観に非常に肯定的な印象を受けた。

第七話「ホモ・モビリタス」では、グローバル化とモバイル環境が人をホモ・モビリタス(動くものとしての人間)として捉えられるとしている。

松井孝典のいうように「世界は進化ではなく分化していく」(P210)のだという。
そして、それは領土という概念に執着した国民国家という枠組み(17世紀のフランスからはじまったイデオロギー)を超えていくのではないかと言っている。
まるでアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『マルチチュード』のようだ。
(そういえば、2ちゃんねるの板も「行ったことがある」とか「住民」とか地理的なアイロニーで語られることが多いな。siteも場所って意味だ)

イスラムに限らず、人生を旅に例えるのは、人の軌跡を時間的な移動から、物理的な移動へと移してみることだ。
終着点は決まっている。死だ。
結論が決まっているなら、過程を楽しむしか選択肢はない。
イスラムは道中(過程)を大切にする思想である。
イスラムを意味するシャリーアは“水場へいたる道”のことであり、教団を意味するタリーカも“道”を意味しているそうだ。
本書の「目的志向からの脱却」(P222)という発想は、“それが僕には楽しかったから”という多分にオープンソース的な発想であり、直接的な生産性を求めないひろゆきの人生観に近いように感じる。
ひろゆきが2ちゃんねるを始めたのは「暇だったから」なのだ。

こう考えていくと、将来、ネグリ・ハートのいうような国家を超えた権力や連帯が生まれたとき、そのスタイルや思考パターンはある意味ムスリムに近くなっていくのではないだろうか・・・というのは強引すぎる話だろうか。


山本七平のような文化比較論に興味のある人には特にお薦めだが、エネルギーを依存している割にイスラムについて我々は無知過ぎると思うので、それ以外の人にもお薦め。

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