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処分用感想文
個人的な読書感想文
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「行動できない人」の心理学
「行動できない人」の心理学「行動できない人」の心理学
(2008/01/08)
加藤 諦三

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深層心理から逆算した自己啓発本。

物事を行動におこせない、実行に移せない人の心理を分析し、善後策を語った本。

主に親子関係から人格構造を推察しており、

「上手さや正しさを求めるな」
「他人をけなす人はおびえている人である」


など自分で決めつけた理想論に縛られることを戒め、自分自身を責め立てるストレスからの解放を指南している。
まず余計な思いこみや他人からのネガティブ情報をシャットダウンし、自分をプレーンな状態にもっていくこと。
とかいってると、ヨガや宗教のイニシエーションみたいだが、そういったことは日常の連続から可能なのだ。

そして、動き出したら、それを止めないことも説いている。

「疲労感を持った時は身体を動かせ」
「人間のエネルギーは使わないと衰弱する」
「他人にエネルギーを使わない人は、自分のためのエネルギーもなくす」


などの話だ。
確かに充実した生活や、達成感は次の行動へのモチベーションになる。

「ふとバカらしく思えても、止めないこと」
「面白いから練習するのではない。練習するから面白くなるのだ」
「取れない球は追わない。この態度は正しいか?」
「合理的な態度は、人生全体において非合理である」


など意味があるから行動するのではなく、行動に意味がついてくるような事柄の重要性について解説している。
これは、経済学でいうサンクコストを埋没させることの出来ない心理の裏返した(しかし人間として非常に自然な)説明となっていて、興味深い。

そういえば、「テロと救済の原理主義」にも、食料やインフラといった物理的な救済の他に、「誇りの再分配」がテロ組織を生む土壌の解体に必要不可欠であるとも書いてあった。
人間は損得だけで合理的に動くわけではない。

では、その合理性以外のものは何かというと、「ハイエク」にあったように習慣性だったり、「テロと救済の原理主義」に記されたような「誇り」だったりするのだろう。
人を承認し、褒めちぎって「誇り」を回復させたり、ある程度距離を置きながら価値観は否定しない「寛容さ」などは、経済的には非合理的で無意味だが、感情の生き物である人間に対するケアとして必要なものなのだ。

人間は事実によって不服になるのではない。事実をどう解釈するかということによって幸福になったり不幸になったりするのである。(P115)



また自己の確立へのアドバイスも含蓄に富んでいる。

「自分を発見したいなら、ノーといいたい時にイエスといわないこと」
「小さなことも億劫がるな」
「自然な感情から眼をそむけてはいけない」


など、自分を殺すことが即ち大人になることだ、という観念に縛られた現代人には結構新鮮に聞こえる話が多いと思うのだがどうだろうか。
自分のエゴイズムに自覚的でなければ、自分をコントロールすることも自分を育てることも不可能なのだ。

自己啓発本だが、よくある表面的なレトリックに終始したものではなく、本質的な部分の分析がなされており、面白い。
体育会系の人間がよく理解できない、と思っているような人には特にお薦め。
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日本を変えた10大ゲーム機
日本を変えた10大ゲーム機 (ソフトバンク新書 87)日本を変えた10大ゲーム機 (ソフトバンク新書 87)
(2008/09/17)
多根 清史

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日本国内のゲーム機の変遷について、概略をまとめた本。

タイトルと前書きからは、日本の様々な産業の中でのゲーム産業の意義を語っているかのようだが、それほどマクロ的な話は出ておらず、別に「ゲーム産業からみた日本とは何か」とか「日本の産業・文化におけるゲームのポジション」とかについて語っているわけではない。

むしろインベーダーゲームからPS3に至るまでの流れの中で、節目節目にピンポイントに雑談をしているような感じだ。
それも、マニア相手の雑談なので「そんなの誰でも知ってるじゃん」と言われないように、わざとトリビアじみたマイナーなネタの扱い方をしているようだ。

例えば、YMOとインベーダーゲームの関係を「YMOコンプレックス」までひっぱりだして解説している。
インベーダーもYMOも無限増殖する日本的な工業製品だというわけだ。
いささか強引のような気もするが、坂本龍一も「80年代、トヨタの車やソニーのウォークマンと平行してYMOが海外進出してきた」とインタビューでいっており、トヨタの車やソニーのウォークマンにタイトーのインベーダーを並べるのもアリなのかな、と思う。

また個人的に一番興味深かったのは、ウィーチャンネルのように「TVを飲み込もうとするTVゲーム機」のルーツがサテラビューだったという話だ。
こういう個々のネタは面白いのだが、扱ってるスパンが広すぎるので、あまりしつこく掘り下げていないような印象も受ける。
その辺は少し残念だ。

しかし「ゲームセンターあらし」などのゲーム漫画ネタは、はっきりいって無くてもよかったような気がする。
読者層から逆算した懐かしネタとして入れたのだろうか。

全体として、SONYびいきで任天堂叩きというバイアスを感じたが、間違っているということはない。
もしかしてネットの風評にこびないように、ムキになっているのかな? という印象を受けた。

ただ「ついにPSPがDSを逆転?」(P228)などは余りにも強引すぎると思う。
ほんの一瞬PSPがDSの売り上げを抜いたとはいえ、トータルで3倍近い売り上げの差がある。
「オレは福山雅治によく似てるってよく言われるんだ。足の裏だけだけど」といっているようなレトリックだ。

かなりのマニアでも知らないネタが多く、若干の違和感はあっても間違っている話はない。
「プレステ3はなぜ失敗したのか?」の続編、PS3の失敗の仕方とそれ以前の他のゲーム機の失敗の仕方の対比としてみればいいのかもしれない。

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姫野カオルコ・著「受難」
受難 (文春文庫)受難 (文春文庫)
(2002/03)
姫野 カオルコ

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人面疽につっこまれまくる女性が繰り広げる、ジェンダーコンプレックスギャグ小説。
女性器に人面疽(古賀さん)のできた女性(フランチェス子)の話。
主人公がもてない女っぽいので、妙な抵抗感があるが、フランチェス子と古賀さんのツッコミ漫才は面白い。
古賀さんの話し方はとても下品で、フランチェス子のコンプレックスをこれでもかとばかりに突いてくる。
寄生獣の宇田さんとジョーのようだ。

寄生したクリーチャーと主人公のドラマというと「寄生獣」、「ど根性ガエル」、「やる気まんまん」などが思い浮かぶ。
これらの作品は全て男性同士が意地張ってどつきあうことをアイロニーとしたもので、他と比べて劣っている(と思い込んでいる)人間を一方的に罵倒する本作品とはノリが全く違う。

フランチェス子の場合はジェンダーへの強迫観念が物質化したのが古賀さんではないだろうか?妖獣都市(魔界都市・新宿だったかな?)に出てきた、歯のある女性器にショックを受けた、スーザン・ネイピア先生がこの小説を読んだら、どう思うだろうか?

話の内容は古賀さんが、フランチェス子をけなして、けなして、けなしてまくって、最後に実は古賀さんが王子様の銅像だった、というオチだ。
しかもリヒテンシュタインの幸福の王子だというので、読んでて脱力した。
最後の最後で王子様が現れるというのは、もしかしてハッピーエンドのつもりなのだろうか?

文章のテンポも軽妙で、教養も感じられ、面白いことは面白い。
レトリックは下品だが、感触はいやらしくないというのは女性にしては珍しい。
「グロテスク」のように読んでいて吐き気がするようなねちっこさは全くない。
しかし、しっくりくるというギャグセンスではない。
どうやらギャグの本質が「もてない女の自虐」らしいので、感覚がいまいち掴めないのだ。
男の読者は想定していないのではないだろうか? 

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ヨーロッパとイスラーム-共生は可能か-
ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)
(2004/08)
内藤 正典

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ドイツ、オランダ、フランスなどのヨーロッパの国々がムスリムの移民をどう受け入れているか、という問題を実際に現地までいって取材しまとめた本。

日本が大量の移民を受け入れるのは絶対無理、というのが率直な感想。

安い労働力が必要だからという、極めて一面的でイージーな発想で移民の必要性を説く経済人がいるが、彼らは移民を人間だと思っておらず、あくまで「労働力の補正」ぐらいにしか思っていないだろう。
実際ヨーロッパでの移民労働者は「景気の調節弁」だといわれたという。(P15)
しかし、異民族が定住し、生活の営みを始めればそこには階層が生まれる。
経済的にはホスト国より弱く、宗教的には異質で、同化を拒む存在だ。

ドイツでは統合(integration)という言葉を掲げ、外国人にドイツ人に同化しろ、とはいわないがドイツ語を覚え、職業訓練を受けてドイツ社会に組み込むことを目標としている。
政教分離のように、公的領域を非宗教的にするべきだとする考え方を世俗主義(secularism)という。
しかし、ムスリムは公と私で信仰をわける発想がない
そしてムスリムは無宗教にはなれない。
こういったイスラム教の教義の特殊性がホスト社会への軋轢を深めている。
(私人としての靖国参拝とかいうフレーズのある日本はこのへん実にフレキシブルである)

またムスリムの女性にとって頭髪とは「隠しどころ」だという。
ムスリムのスカーフは異教徒には、公に宗教を持ち込んでいるようにみえるが、だからといってスカーフをはずせと命令するのは、ムスリムにとっては公衆の前で下着をはずせといってるのと同じことになるという。

オランダでは寛容(tolerance)という言葉を持ち出して、外国人を受け入れようとしている。
ここでいう寛容とは「本質的に違和感を抱いていても、利害が一致するなら目をつぶろう」という意味である。
この辺は、自分の意見を何がなんでも通そうとしている日本の自己完結ブロガーにも見習って欲しい気がする。
ただし、ドラッグや売春にも寛容なオランダの素地はムスリムには馴染まないし、オランダの他文化主義にも限界があるようだ。
911の後には政府が必死のフォローを入れるような事態も多発したという。

フランスでは「自由・平等・博愛」の精神が行き届いている。
しかし、いくら基本理念がしっかりしていても現場の人間が理想的な行為をとれるとは限らない
移民とは限らなくても、貧困・失業層は「郊外」においやられ、サン・パピエ(証明書なし)と呼ばれた居住許可を持たない階層が問題化しているという。
フランスはドイツと違って、フランス語を覚え、フランスの精神を身につけたものは移民でも差別なくフランス人として扱う。サルコジも移民だ。
しかし、フランス語とその精神の身に付いていないものには非常に厳しい態度をとる。
「博愛(フラテルニテ)」の精神は同胞のみにある。
枠の外の人まで愛情を振りまいたりしないのである。

また旧植民地の外国人が、宗主国に移住したものの現実的な軋轢を生み出しているケースも多い。
(日本の在日朝鮮人も同じようなものだろうか?)

ドイツは「統合」、オランダは「寛容」、フランスは「自由・平等・博愛」というキーワードを打ち出しながら、現実問題として様々なレベルでの衝突や軋轢を生み出している。
振り返って日本で賑わってるのキーワードといえば「KY・空気嫁・常考」とかそんなものばかりである。

300年間鎖国していた国が、見よう見まねで民主主義国家を作り上げたところで、本当の意味での「個人」なんかあるわけがない。
民族問題以前に、2003年のイラク人質事件にみられたように、日本人の異分子排除本能の凄まじさは他国に類を見ないほどのものだ。
国民性は体質だ。体質は治そうとしてもすぐさまに治るものではない。
調子のいいインテリが理想論を唱えたところで、一朝一夕で体質が変わるわけがない。
こういった問題に対する解決策を持たずに、移民を受け入れたところで、日本側も移民側も不幸になるのは不可避だ。
諸外国から「非寛容・冷酷・右翼」と非難された時に耐え抜く覚悟と理論武装をしたほうが建設的だと思う。

テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

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